hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

生きて行く上での「主役」は誰?

ご来訪いただき、有難うございます!


突然ですが、あなたはご自分の人生の
主役です。


誰が何と言おうと、あなたはあなたの
人生の主役です。


でも、あなたの好きなひとは、その人
の人生の主役なんです。つまり、彼や
彼女の人生の中では、あなたはダブル
主役のうちの一人か、脇役か敵役(か
たきやく)かのどれかです。自分に関
わる人の人生の中でも主役でいるよう
な錯覚を持ってしまいがちですが、実
は自分の人生の主役であるコトと、自
分以外の人生の主役であるコトとは、
全くの別物だという視点を持ってみて
はいかがでしょうか?



この花はわずかなスペースですが花壇
の中で咲いているコトを宿命付けられ
た花です。やや時期を過ぎていますが
それでも綺麗に咲いています。


わたしは若い頃、カミさんの人生でも
主役だと思っていました。そう信じて
いて…、というより、それを疑ったコ
トがありませんでした。二人の人生は
主役が俺で、いつも見守ってくれてい
るのがカミさん…。そう信じて疑った
コトがありませんでした。



これは、花壇の主役として植えた花で
はないそうです。主役として植えた花
はすぐ終わってしまって、この花がそ
の後の主役のように咲いているんだそ
うです。でも、とても綺麗に咲いてい
ます。


わたしがカミさんが主役の人生が在る
コトに気付いたのは、子供が生まれて
からでした。今思えば、どうかしてる
のはわたしの方ですが、その時はカミ
さんがどうかしてると思いました。最
初から旦那が主役な訳ではなくてカミ
さんの中で旦那を1番だと思ってくれ
てるのを勘違いして、自分が主役だと
思い込んでいた訳です。



これはタンポポです。西洋タンポポな
ので二ホンタンポポとは違いますが、
この時期でもまだ咲いています。これ
は今後、宅地にする空き地です。よく
見なければ気付きもしない花です。で
もよく見ると綺麗だと思いました。


当たり前のコトを当たり前にこなして
行く人生というのも尊いモノですが、
若い頃は往々にしてジェットコースタ
ーのような起伏のある人生が面白いと
思い込んだりしてしまいがちです。自
分が進みたい人生を行くのが1番だと
思います。歩く人生も、走る人生も、
どちらも自由に選択できます。



これは、タンポポよりよく見ないと気
付かない小さな花です。でもよく見る
と黄色い5弁の花びらで、小さくて黄
色い桜の花びらのようなとても可憐な
花です。


大きくて綺麗で観賞用に植えられた花
も空き地でひっそりと誰にも気づかれ
ずに咲いている花も、よく見るととて
も綺麗で可憐な花です。優劣なんてあ
りません。それに順位を付けているの
は人間の方です。


主役に選ばれた訳ではなく、生まれた
時から自分の人生の主役です。同じよ
うに誰もが生まれた時から自分の人生
の主役なのです。


それだけわかっていれば、いいんだと
思います。自分が主役でおまえは脇役
だという発想さえなければそれでOK
です。


みんなが主役です。どの人生の主役な
のか、という視点だけ、共有できれば
いいなあ…、と思います。それぞれに
望んでいる人生は違っていていい、と
思います。


その相手の人生を尊重する、という姿
勢があるだけで世の中の大半の争いご
とは解決します。相手の人生に乗り込
んで行って、主役を争うから大変なコ
トが起きてしまいます。あくまでも、
相手の人生の主役は自分ではない、と
いうコトを肝に銘じて、相手を尊重す
れば、穏やかに解決します。


ほとんどの争いは主導権争いです。主
導権が必要なのは自分の人生だけです。
相手の人生の主導権を握るコトは本来
間違っている、という事実だけ理解す
ればいいと思います。


そんな当たり前のコトを55年も生きて
から今頃気付いて、このブログに書い
ている俺って、いったい…(^o^)/

まんが『ハハとムスメのバラード』第7弾「寝る子なのに育たない」

ご来訪いただき、有難うございます!


『ハハとムスメのバラード』第7弾が
出来ました。タイトルは「寝る子なの
に育たない」です。ではどうぞ!




ウチのムスメはよく寝ます。本当によ
く寝ます。しかも、ハハのベッドに潜
り込んだら5分ともたずに眠ってしま
います。いつもテレビを見に来ては、
横になっているうちに寝て、朝まで起
きない、というハハのカラダをガチガ
チに固めてしまう原因を作っています。
シングルサイズなので寝返りが打てな
くなる訳です。


最近ではムスメが全く起きないと、ハ
ハの方がムスメのベッドに行って眠る
コトもあります。それくらい熟睡して
る時のムスメは起きません。まるで中
学生の頃の自分を見ているようですが、
わたしのおふくろはよく飽きずに起こ
し続けてくれたもんだ、と今更ながら
に感謝の気持ちが湧いて来ます。


ただ、これからのシーズンにはムスメ
が必要になって来るらしい。ムスメは
眠っている時に赤ちゃんのようにあっ
たかくなるんだそうです。冬は一緒に
寝ると手放せなくなるそうです。


ムスメは生まれて来た時にドクターか
ら、将来小人症になるかも知れません
と言われた子なので、今の育ち方を見
れば充分過ぎるくらいに感じているの
ですが、ハハは自分があと3センチあ
ったら…と思っていたそうなので、ム
スメに「寝る子なのに育たないわね」
と言っています。

「勉強」と「学習」はどう違うのか?~理想的な学習の取り組み方~

ご来訪いただき、有難うございます!


今年も残すところ、あと2か月を切り
ました。今日は、わたしの考える理想
的な学習方法について書いてみたいと
思います。


わたしがコンサルテーションの会社を
経営していた時の会社のスローガンは
・元気
・愛情
・好奇心
の3つでした。


元気を与え、愛情を注ぎ、好奇心旺盛
に相手の知りたいコトを探って行くと
いうスローガンを持った会社でした。


コンサルタント(consultant)とは、
con:一緒に~という接頭語
sult:解決する、という語幹(solution)
ant:人、を表す接尾語
というふうに分解して考えられるので
「一緒に解決する人」、というコトに
なります。


「一緒に解決する人」に1番求められ
る要素が「元気」「愛情」「好奇心」
だと思います。頭の良さは元気と好奇
心があればクリアできますし、思いや
りは相手の欲しいモノを知ろうとする
好奇心と溢れる愛情でカバーできます。
情熱は元気と愛情でクリアできます。


では、どうすれば一緒に解決して行け
るのだろう?と考えた時に、顧客が欲
しい情報を顧客のお客さんから直接訊
く、という方法を取りました。マーケ
ティングやアンケート調査、インタビ
ュー等を駆使して、欲しい情報になる
まで、ブラッシュ・アップしました。
或いは取得した情報を定量分析、定性
分析して欲しいウォンツを見つけ出し
ました。


実は学生の頃から一つ決めていたコト
があります。高校に通っていた頃友達
と話していて決めたのですが「勉強」
をするのは止めよう、というコトでし
た。強く勉めなければならないような
コトは向いていないのではないか?と
思ったのです。


例えば「野球」をしている時、どんな
に苦しいトレーニングをしていても、
苦しいから止めよう、とは思わない訳
です。自分のどこがどう鍛えられてい
るから、昨日より今日の方がいい選手
になっている、と思えるように繰り返
し練習しているので、自信になって行
きます。しかもかなりキツイ練習でも
強く勉めるというような意識にはなり
ません。今、頑張るコトで試合で結果
を出せる、というように思える訳です。


つまり「勉強」という概念は好きでは
ないモノに当てはまる言葉なのではな
いか?という話になり、最初から嫌い
というレッテルを貼らないために勉強
という言葉を使わないようにしよう、
と決めた訳です。


では何と言えばいいだろう?


二人で話し合った結論は「学習」とい
う言葉で行こう!というコトでした。


学ぶ、と言う言葉の語源は真似るです。
マネぶ、から、まなぶになったと言わ
れています。


習う、と言う言葉は繰り返すという意
味だそうです。


真似して繰り返しているうちに、
「青は藍より出でて藍よりも青し」
という状態になればシメたモノです。


そこで学習という言葉を使おう!と決
めたのですが、照れくさいので
「やった?」「おお、やった」
みたいに学習という言葉は抜いて喋る
ようになっていたのでした。


ところが、この話をコンサルになって
から、或る会社の新人研修の講師に呼
ばれて講演したところ、その会社では
その後、学習という言葉を使って勉強
という言葉は使わない、と決まってし
まうほど気に入ってくれて、その時の
新人さんが数年後、
「学習という言葉を意識して使うよう
になってから、何度も繰り返すコトが
当たり前になって、当社の技術者達の
スキルがとても上がりました」と言わ
れた時は嬉しかったなあ…(^o^)。


その話の大元を、その時に話した友達
と先日バッタリ逢って、「どうしてそ
ういう話になったんだっけ?」と訊く
と「実はついこの間、俺も気になって
その頃の生徒手帳を探して読んで納得
したんだ」というコトだったので聞き
ました。


「その前の段階で寺小屋の話をしてた
んだよ。寺小屋ではその師が決めた本
を使って哲学のようなコトを学んでい
た。つまりその師の生き様を真似して
繰り返して行く訳だが、それはあくま
で考え方や読み書き算盤(そろばん)と
いう超基礎的な考える技術の基礎を学
んでいた訳だ。各自がその後、興味を
持った分野でそれを応用して学習して
行く。その中に強く勉めるという概念
は在ったんだろうか?つまり寺小屋で
勉強する、と言ってたんだろうか?と
言うのが、あの話のきっかけだったん
だ。そして、生徒達は学習と言ってい
たらしいが、子供を寺小屋に通わせて
いる親たちが『勉強』という言葉を使
ったらしい、って漢文の先生が言った
時に、俺達も学習を使おう、って話に
なったみたいだよ。有名な学者や教授
も『考えた』とか『学んだ』という言
葉は使うけど、勉強した、という言葉
は使っていないよね?っていうコトに
なって、俺達は学習って言葉を使おう
ってコトになったんだよ」


実は、勉強という言葉を使わなくなっ
て一つ気が付いたコトは、好奇心が強
くなったコトです。わからないコトが
あると「それ何?」とすぐに訊くよう
になりました。


「勉強」という言葉を使っていた時は
知ったかぶりをしたくなったのに、学
習という言葉で考えるようになってか
ら、知らないコトを恥だと思わなくな
りました。初歩的なコトを教えてもら
って、自分で学んだコトをフィードバ
ックするクセが付きました。


実はその高校の時にその話をした友達
も同じような意識になったそうです。
知ったかぶりの必要性を感じなくなっ
て、知らないコトの入り口を教えても
らって、自分で調べたコトをフィード
バックするようになった、と言ってい
ました。


学習、という言葉を使うことによって
積極的にいろんなモノに興味を持つ傾
向が強くなる、と思います。勉強、と
いう言葉は「やらなくちゃ」感の強い
言葉なのに対し、学習、という言葉は
「やってもいい」感の強い言葉だなあ
と思います。


ここが重要なのですが、興味のあるモ
ノを調べるために必要なコトを学ぶ所
が本来の学校の役目だと思うんです。


ところが、受験という要素が増えたコ
トによって、調べる方法を越えて調べ
る中身の方まで覚えてそれを「勉強」
と名付けた、というのが実際なのでは
ないか?と思っています。


でも知的好奇心をあおられて自分から
調べようと思う部分こそが大切な要件
だと思います。今の学校では自分から
調べたくなっても、それに時間を割く
コトは許されていません。そしてまた
学校から帰って来て、自発的に何か調
べていても、学校の科目と関係なかっ
たり、ファンタジー系の本だったりす
ると遊んでいる、という認識をする親
も多いと思います。


ちなみにウチの息子は、ハリー・ポッ
ターの全7巻11冊を小学生の時から中
学生にかけて通算30回以上繰り返し読
んでいました。同じ本を飽きもせず何
度も何度も読んでいました。呪文も全
部、何も見ずに言えたくらいです。


日本語の文章は、ほぼ頭に入っていた
らしく、英語版のハリーポッターを買
って来て渡したら、「なるほど。ココ
は英語の方がわかりやすい表現だね」
とか言って読んでいました。あの分厚
い英語の本を読めるようになっている
のには驚きました。繰り返しの効用だ
と思います。


わたしは小学生の時、惑星に興味があ
って、水星、金星、地球、火星までは
実体のある星なのに、木星、土星、天
王星、海王星はガス体であるコトを知
って、そういう星のコトを何と呼ぶの
かを学校の先生に訊いたのですがわか
らず、自分で図書館で調べました。そ
して、実体のある星を実星、ガス体の
星を虚星と呼ぶ、と突き止めた時は嬉
しかったのを憶えています。


今、「僕らは奇跡でできている」とい
うドラマがカンテレ・フジテレビ系列
火曜日の21時から放映されています。


学ぶ、というコトを考えさせられる番
組です。上記のようなコトを改めて思
い起こさせてもらいました。お時間の
許す方は、ぜひ一度ご覧ください。


あなたにとっての『勉強』や『学習』
を、もう一度考えてみるチャンスにな
るかも知れません。