hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

「勉強」と「学習」はどう違うのか?~理想的な学習の取り組み方~

ご来訪いただき、有難うございます!


今年も残すところ、あと2か月を切り
ました。今日は、わたしの考える理想
的な学習方法について書いてみたいと
思います。


わたしがコンサルテーションの会社を
経営していた時の会社のスローガンは
・元気
・愛情
・好奇心
の3つでした。


元気を与え、愛情を注ぎ、好奇心旺盛
に相手の知りたいコトを探って行くと
いうスローガンを持った会社でした。


コンサルタント(consultant)とは、
con:一緒に~という接頭語
sult:解決する、という語幹(solution)
ant:人、を表す接尾語
というふうに分解して考えられるので
「一緒に解決する人」、というコトに
なります。


「一緒に解決する人」に1番求められ
る要素が「元気」「愛情」「好奇心」
だと思います。頭の良さは元気と好奇
心があればクリアできますし、思いや
りは相手の欲しいモノを知ろうとする
好奇心と溢れる愛情でカバーできます。
情熱は元気と愛情でクリアできます。


では、どうすれば一緒に解決して行け
るのだろう?と考えた時に、顧客が欲
しい情報を顧客のお客さんから直接訊
く、という方法を取りました。マーケ
ティングやアンケート調査、インタビ
ュー等を駆使して、欲しい情報になる
まで、ブラッシュ・アップしました。
或いは取得した情報を定量分析、定性
分析して欲しいウォンツを見つけ出し
ました。


実は学生の頃から一つ決めていたコト
があります。高校に通っていた頃友達
と話していて決めたのですが「勉強」
をするのは止めよう、というコトでし
た。強く勉めなければならないような
コトは向いていないのではないか?と
思ったのです。


例えば「野球」をしている時、どんな
に苦しいトレーニングをしていても、
苦しいから止めよう、とは思わない訳
です。自分のどこがどう鍛えられてい
るから、昨日より今日の方がいい選手
になっている、と思えるように繰り返
し練習しているので、自信になって行
きます。しかもかなりキツイ練習でも
強く勉めるというような意識にはなり
ません。今、頑張るコトで試合で結果
を出せる、というように思える訳です。


つまり「勉強」という概念は好きでは
ないモノに当てはまる言葉なのではな
いか?という話になり、最初から嫌い
というレッテルを貼らないために勉強
という言葉を使わないようにしよう、
と決めた訳です。


では何と言えばいいだろう?


二人で話し合った結論は「学習」とい
う言葉で行こう!というコトでした。


学ぶ、と言う言葉の語源は真似るです。
マネぶ、から、まなぶになったと言わ
れています。


習う、と言う言葉は繰り返すという意
味だそうです。


真似して繰り返しているうちに、
「青は藍より出でて藍よりも青し」
という状態になればシメたモノです。


そこで学習という言葉を使おう!と決
めたのですが、照れくさいので
「やった?」「おお、やった」
みたいに学習という言葉は抜いて喋る
ようになっていたのでした。


ところが、この話をコンサルになって
から、或る会社の新人研修の講師に呼
ばれて講演したところ、その会社では
その後、学習という言葉を使って勉強
という言葉は使わない、と決まってし
まうほど気に入ってくれて、その時の
新人さんが数年後、
「学習という言葉を意識して使うよう
になってから、何度も繰り返すコトが
当たり前になって、当社の技術者達の
スキルがとても上がりました」と言わ
れた時は嬉しかったなあ…(^o^)。


その話の大元を、その時に話した友達
と先日バッタリ逢って、「どうしてそ
ういう話になったんだっけ?」と訊く
と「実はついこの間、俺も気になって
その頃の生徒手帳を探して読んで納得
したんだ」というコトだったので聞き
ました。


「その前の段階で寺小屋の話をしてた
んだよ。寺小屋ではその師が決めた本
を使って哲学のようなコトを学んでい
た。つまりその師の生き様を真似して
繰り返して行く訳だが、それはあくま
で考え方や読み書き算盤(そろばん)と
いう超基礎的な考える技術の基礎を学
んでいた訳だ。各自がその後、興味を
持った分野でそれを応用して学習して
行く。その中に強く勉めるという概念
は在ったんだろうか?つまり寺小屋で
勉強する、と言ってたんだろうか?と
言うのが、あの話のきっかけだったん
だ。そして、生徒達は学習と言ってい
たらしいが、子供を寺小屋に通わせて
いる親たちが『勉強』という言葉を使
ったらしい、って漢文の先生が言った
時に、俺達も学習を使おう、って話に
なったみたいだよ。有名な学者や教授
も『考えた』とか『学んだ』という言
葉は使うけど、勉強した、という言葉
は使っていないよね?っていうコトに
なって、俺達は学習って言葉を使おう
ってコトになったんだよ」


実は、勉強という言葉を使わなくなっ
て一つ気が付いたコトは、好奇心が強
くなったコトです。わからないコトが
あると「それ何?」とすぐに訊くよう
になりました。


「勉強」という言葉を使っていた時は
知ったかぶりをしたくなったのに、学
習という言葉で考えるようになってか
ら、知らないコトを恥だと思わなくな
りました。初歩的なコトを教えてもら
って、自分で学んだコトをフィードバ
ックするクセが付きました。


実はその高校の時にその話をした友達
も同じような意識になったそうです。
知ったかぶりの必要性を感じなくなっ
て、知らないコトの入り口を教えても
らって、自分で調べたコトをフィード
バックするようになった、と言ってい
ました。


学習、という言葉を使うことによって
積極的にいろんなモノに興味を持つ傾
向が強くなる、と思います。勉強、と
いう言葉は「やらなくちゃ」感の強い
言葉なのに対し、学習、という言葉は
「やってもいい」感の強い言葉だなあ
と思います。


ここが重要なのですが、興味のあるモ
ノを調べるために必要なコトを学ぶ所
が本来の学校の役目だと思うんです。


ところが、受験という要素が増えたコ
トによって、調べる方法を越えて調べ
る中身の方まで覚えてそれを「勉強」
と名付けた、というのが実際なのでは
ないか?と思っています。


でも知的好奇心をあおられて自分から
調べようと思う部分こそが大切な要件
だと思います。今の学校では自分から
調べたくなっても、それに時間を割く
コトは許されていません。そしてまた
学校から帰って来て、自発的に何か調
べていても、学校の科目と関係なかっ
たり、ファンタジー系の本だったりす
ると遊んでいる、という認識をする親
も多いと思います。


ちなみにウチの息子は、ハリー・ポッ
ターの全7巻11冊を小学生の時から中
学生にかけて通算30回以上繰り返し読
んでいました。同じ本を飽きもせず何
度も何度も読んでいました。呪文も全
部、何も見ずに言えたくらいです。


日本語の文章は、ほぼ頭に入っていた
らしく、英語版のハリーポッターを買
って来て渡したら、「なるほど。ココ
は英語の方がわかりやすい表現だね」
とか言って読んでいました。あの分厚
い英語の本を読めるようになっている
のには驚きました。繰り返しの効用だ
と思います。


わたしは小学生の時、惑星に興味があ
って、水星、金星、地球、火星までは
実体のある星なのに、木星、土星、天
王星、海王星はガス体であるコトを知
って、そういう星のコトを何と呼ぶの
かを学校の先生に訊いたのですがわか
らず、自分で図書館で調べました。そ
して、実体のある星を実星、ガス体の
星を虚星と呼ぶ、と突き止めた時は嬉
しかったのを憶えています。


今、「僕らは奇跡でできている」とい
うドラマがカンテレ・フジテレビ系列
火曜日の21時から放映されています。


学ぶ、というコトを考えさせられる番
組です。上記のようなコトを改めて思
い起こさせてもらいました。お時間の
許す方は、ぜひ一度ご覧ください。


あなたにとっての『勉強』や『学習』
を、もう一度考えてみるチャンスにな
るかも知れません。