hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

「幸せ」の正体

ご来訪いただき、有難うございます!


あけましておめでとうございます。旧
年中はありがとうございました。本年
もよろしくお願いします。


昨年末に耳鼻科に行ったところ、重度
の睡眠時無呼吸症候群であるコトがわ
かりました。もちろん検査をちゃんと
した結果、判りました。治療用のCPAP
(シーパップ)も送られて来たので、無
呼吸で無くなるように圧縮空気を送り
込みながら寝るコトになります。


最近では多少の病気が判明しても驚か
なくなりました。でも、腎臓、心臓、
無呼吸は、なかなかハードですよね?


そこで、年明け最初の記事は、こんな
わたしだからこそ言える、これだけい
ろいろな病気があるのに、病気になっ
たからこそ解った「幸せ」を感じる瞬
間を少しゆっくり考えてみたいと思い
ます。そこから「幸せ」の正体を探っ
てみたいと思います。


まず、「健康」の大切さを骨身に沁み
て理解できるようになりました。


例えば、病気になる前には


①朝、500㎖くらいのミネラルウォー
ターのペットボトルを飲み干す。
②新鮮な生野菜を食べる。
③軽く汗をかくくらいの適度な運動を
する。
④リフレッシュのための旅行をする。


等々…。上記4つはいいコトの代表例
だったのに、全てアウトになりました。


①の水分をどれだけ削れるか?は腎臓
病患者にとっての死活問題です。今ま
ではおしっこで出していた水分を自力
で出せなくなるので、透析で血液から
水分を抜く作業に週に3回4時間ずつ
(人によっては3~5時間)かけている
訳です。


朝の水分は言うまでもなく、夏場は少
しでも水分を減らすために、いつもよ
りも少し小さめの製氷皿を買い、水を
飲みたくなったら氷を1粒口に入れて
ゆっくり溶かす等の工夫をしています。


②の新鮮な野菜はカリウムがたくさん
入っているので、茹でたり煮こぼした
りしてカリウムを減らしてから食べま
す。


新鮮なパリッとした食感の野菜は慢性
腎不全という診断をされてから1か月
間は食べませんでした。でも、いつも
しんなりした野菜ばかり食べていたら
元気がなくなって来て、カミさんに頼
んで、少ない量でいいからパリッとし
た野菜も食べたい!とお願いして、新
鮮な野菜も食べるようにしたら、元気
が出て来ました。


③の適度な運動は、ステントを心臓に
埋め込む手術をしてくれた循環器内科
の先生は、


「心臓のためにも少し息が上がるくら
いの運動をした方がいいですよ」


と言い、腎臓の先生は全く逆で、


「腎臓が老廃物を処理できなくなって
いる訳ですから、運動をして老廃物を
わざわざ作るなんて自殺行為だ」


と言います。ドクターでさえ、意見が
分かれるほど確実な治療法は無い病気
です。というより、いくつもの病気が
重なっているので、それぞれの専門家
達でも意見が分かれているのかも知れ
ません。なので、わたしは自分が感謝
の気持ちが湧き出すような適度な運動
ができるようなバイトを選んでいます。


これは、慢性腎不全と診断された頃、
呼吸困難を起こして病院に運ばれた時
の苦しさが忘れられないのと同時に、
その時と比べて透析をしている現在が
とても調子がよくて、心から感謝の気
持ちが湧いて来るようになったからで
す。それをいつも感じていられるよう
に、適度な運動量の仕事を選択してい
る訳です。


そうですねー…。例えば坂道を少し昇
って荷物を届けてトラックに戻って来
るような動きをした後に、最悪だった
時を思い出すと、あの頃は何も持たず
に3階の自宅へ上がるだけで息も絶え
絶えになるほどゼーゼーしていたのに
今はお客さんの荷物を届けて人の役に
立てている…。透析に感謝する気持ち
にもなりますし、関わった人達にも感
謝したくなります。


最悪だった頃を言えば、横になって寝
られなかったんです。肺が水浸しにな
っていたそうですが、まさか横になっ
たら息苦しくて寝られないのが腎臓の
病気のせいだ、なんて知る由もなくて
横になったらむせてしまうような息苦
しさを感じた時は《俺はこのまま死ぬ
んだろうなあ…》と思いました。


それが物流のトラックに乗るような仕
事を出来る現在は、夢のようです。こ
れって自然と生きてる今に感謝できる
んです。透析をして体調を整えてくれ
るお医者さんやお正月でも休みもなく
クリニックでお世話をしてくれる看護
師さんや看護助手の皆さんにも感謝し
ちゃうんです。


一度死ぬような経験をすると、今がそ
の時より良ければ、感謝する気持ちが
自動的に湧き出して来るようになりま
す。これは最近とてもよく感じる感覚
になりました。


④の旅行は、透析があるので二日以上
の旅行は出来ません。厳密に言うと土
曜の透析が終わってからの二日半が旅
行のギリギリ許される時間ですが、も
し少し長い旅行が必要になった場合、
旅先の近くで透析受け入れ病院を探し
てからでないと動けません。


これのおかげで、仕事が立て込んでい
て新婚旅行に連れて行くコトが出来な
かったカミさんに、


「仕事をリタイヤしたらいろんな所に
行って、楽しい老後にしようね」


と言っていたコトを実現できなくなり
ました。とても申し訳なく思っていた
ら、カミさんはムスメといろんな所に
出掛けて行くようになりました。これ
は、昔のわたしだったら、きっと許せ
なかったと思いますが、今は自分の代
わりをムスメがやってくれていると感
じる上に、カミさんも自分とムスメの
時間が合えば、積極的に出かけている
ので、かえって以前よりストレスも減
ったようですし、今回のお正月はムス
メと二人で大晦日から0泊3日という
強行軍で関西の息子の所とユニバーサ
ルスタジオジャパンに行って来たので
疲れたようですが楽しかったようです。


元日は2020年は一人でしたが、わたし
は仕事があったので、特に寂しくもな
く、家族3人の写真を観ながら過ごし
ました。


この4つだけでもかなり行動上の制限
にはなりますが、最悪な状態を経験し
ている身としては、現在は最悪な時よ
り、何がどれくらいいいのかが判り、
普通の行動をしても、自然と感謝の気
持ちが湧いて来ます。


そして、この「感謝の気持ち」が幸せ
を感じる上で、とても大きいコトに気
付いたんです。


感謝する気持ちは愛する気持ちと似て
います。愛する気持ちは、欲しがって
いる時はなかなかもらえないけど、愛
を相手に向けるといつの間にか自分に
も向けられていたりします。与えるコ
トで与えられるモノだと思うんです。


でも、GIVE & TAKE ではないと思い
ます。与えて 取って では順番だけ
の問題のような気がするからです。


GIVE & BE GIVENだと思います。見
返りを求めずに与えているうちにいつ
の間にか与えられていて、その温かさ
にはついつい感謝してしまうような種
類の感覚です。


感謝や愛という感覚が理解できるよう
になると、幸せも同じように感じるモ
ノであるコトに気付きます。


そうだなあ…。一つ例を挙げますね。


或る人のコトを見返りを求めずに愛し
ているとします。その人がうまく行っ
ているのを見て喜んだり、その人のコ
トを愛するコトが出来た幸せを感じて
いたりすると、いつの間にか相手から
も思われていたりします。


これ、わたしくらいの年配の人には比
較的共感されますが、若い人達はなか
なか理解しづらい感覚のようです。若
いうちは愛されるコトが好きですし、
愛するコトが出来る幸せより、愛して
くれる人を愛したいと思っている人の
方が多いですからね。


「幸せ」の正体は、誰かからもらうモ
ノではなく、自分の心の在り様だと思
います。


病気をしたり、思うようにならないコ
トを経験すると、自分が何か出来るコ
トに喜びを感じられるようになります。


そういう時に感じるモノが「幸せ」な
のだろうと思います。