hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

わたしが学ぶコトに興味を持った父と母の育て方

ご来訪いただき、有難うございます!


幼稚園に行っていないわたしは、小学

校から団体生活がスタートした訳です

が、年齢的に幼稚園の頃、父が結核で

入院してしまい、わたしと妹が夜中だ

け、保育園に預けられて朝の8:00頃

に母に迎えに来てもらっていた時期が

あります。その夜中の保育園には悪ガ

キ大将が居て、わたしが眠る頃、妹に

意地悪をして起こすので、妹がわたし

に助けを求めて起こしに来る訳です。


その頃母は、母の弟がマネージャーを

勤めていたヤッチャバ(野菜市場)で

働いていたので夜中に入場して朝の出

荷準備が終わると帰って来ます。その

疲れた顔を見ると、保育園のゴタゴタ

を相談する気になれず週末にお見舞い

に行く入院中の父に相談しました。


「意地悪なガキ大将が居て、僕が眠る

頃になると、妹にちょっかい出して起

こすから、妹は僕を起こしに来る。こ

の悪ガキ大将をどうしたら妹を守れて

僕も眠れるようになるだろうか?」


すると、父は言いました。


「おまえ、その悪ガキ大将とケンカし

たら勝てると思うか?」


わたしは言いました。


「ケンカしたコトないから判らない」


父が言いました。


「いつもどうやって、妹を守ってるん

だ?」


わたしは答えました。


「こんなヤツ放っておいてこっち来て

寝よう、と言って妹と正面向きに横に

なって抱っこするみたいにすると、そ

いつが僕の背中を一回叩くか蹴るかし

て、居なくなる」


父は、


「今までに何回叩かれたり蹴られたり

したか憶えてる?」


と訊くので、


「わからない。でも、入ってから一週

間くらいしてから始まった。一番最初

は、僕が寝た頃、僕の背中を蹴ったら

しいんだけど、僕が気付かないで寝て

たから妹に相手が変わったみたい」


と答えました。父は、


「あははは。それじゃ、ケンカしたら

絶対おまえの方が強いから、まず、先

生が居る所で、こう言え。『おまえは

僕の妹をいじめるから、僕がおまえを

こらしめてやる。』それから、帰り道

で母に保育園に入った日を聞いて、そ

こから7日くらい差し引いた日数を数

えて『〇〇発は既に僕が殴られたり蹴

られたりしてるから、まずはそれを返

させてもらう。その後で、おまえがケ

ンカしたければ付き合ってやる。もし

おまえが、今、妹に謝ってこれからは

そんなコトしないと誓うなら、僕も許

してやる』どうだ、言えるか?」


と言うので、


「そのガキ大将は僕より一つ年上だけ

ど、おまえって言うの?」


と訊くと、父は、


「ケンカしようっていう相手だぞ。お

まえ、がいい。で、その後パターンが

3つ考えられる。一番いいのは、相手

が謝って来るパターン。次は先生が止

めに入るパターン。その場合は、先生

に責任を持って、いじめっ子が妹をイ

ジメないように目を光らせる約束をさ

せるコト。最悪はケンカだけど、イジ

メっ子が謝らず、先生も止めなかった

ら、まず、相手の腹に一発思い切りパ

ンチを入れて、前屈みになった時に頬

をなぐれ!それで相手は戦意をなくす

から」


と言いました。父は若い頃、ボクシン

グをやっていたので、めちゃくちゃ強

かったんです。だから、父の戦い方を

無条件に信じました。父から念を押さ

れたのは、それを言う時には、ケンカ

をするつもりで強く言え、というコト

でした。後は、わたしのガキ大将とい

う言葉の定義を訊かれました。ケンカ

は強いけど、地域の子供達を守ってい

るのがガキ大将なら、例え「悪」を付

けても「ガキ大将」という言葉よりも

「いじめっ子」の方が相応(ふさわ)

しいんじゃないか?とか、たしかそん

なコトを言われたような記憶がありま

す。


次の日、23:30頃に預けられてすぐ、

先生もいじめっ子も居たので、教えら

れた通りに言いました。本当にケンカ

するつもりで言ったら、いじめっ子も

謝ったし、先生も止めてくれたので、

先生にも約束させて、それ以降、何か

意地悪されると、みんなhitty君に言い

つけるぞ、と言うようになって、結局

起こされるのは変わりませんでした

(^○^)。だから、ヤツには最初の7日間

分と日曜日分を引いた27発分は未だに

貸したままです(^○^)。


最近では、アンパンマンがコンプラ的

にアンパンチを出せないそうですが、

わたしは、そういう時代の子供でなく

て、良かったです。ライダーキックや

ライダーパンチで育った時代ですから!


なので、その民間保育園が初めての集

団生活体験だった訳で、学校に行くよ

うになっても、きっと同じようなコト

はあるだろうなあ…と思っていたので

過度に期待するコトもなく、それでも

昼間明るい所で友達と遊べるワクワク

感は持ちながら、小学校に入学した訳

です。


学校に対する一番の期待は、どんなに

面白いコトを教えてくれるんだろう?

という期待でした。知りたいコトは山

のようにありましたから、どんなにワ

クワクするように教えてくれるのか、

もう楽しみで楽しみで仕方ありません

でした。


ただ、学校に行く前に、みんなは幼稚

園や保育園で集団生活を経験している

ので、必要最低限の勉強はしているだ

ろうと思っていました。


だから、幼稚園に入る筈だった年の5

月に「あいうえおブロック」というお

もちゃを買ってもらいました。五十音

が一つひとつのブロックになっていて

表は平仮名の文字が彫ってあり、鉛筆

の形をしたプラスチックでなぞって、

文字の形が覚えられるようになってい

て、裏にはその文字が頭に来る言葉が

例文として書いてあるモノです。


カタカナ版は、ダンボールで自分で書

いて作りました。


これで毎日毎日飽きずに遊んでいまし

た。幼稚園に入る筈だった年の5月に

引越が終わって、新しい家での生活が

始まると、しばらくして、父が退院し

て来ました。父はNHKの教育テレビで

夕方6:00くらいから、「コンピュー

タ講座」という番組を観るようになり

ました。わたしも、


「僕も観る!」


と言って観始めましたが、何を言って

いるのか判りません。父が、


「番組を観ながら、大切だと思った事

は、ノートに書いておいてごらん。番

組が終わったら、おとうさんと復習す

れば解るようになるから」


と言ったので、わたしが生まれて初め

て「コンピュータ講座」という目的を

持ったわたし用のノートを買ってもら

い、初めて書いた文字は、


「にしんほう」


という文字でした。2進法のコトです。

ジャポニカ学習帳の自由帳を買っても

らいました。10進法もまだわからない

5歳の子に、父はにしんほうをどうや

って教えたのか?


「おまえは既に10進法と12進法と24

進法と60進法は理解している。10進法

は、お風呂に入って『100まで数えた

ら上がっていいよ』って言われて数え

てるのが10進法。12進法は時計で12

時になったら次は1時に戻るよね?1

日24時間を午前と午後に分けて12時間

毎に時計の短い方の針が1周すると元

に戻るのが12進法。午後1時を13時と

表現するのが1日を24時間で表す24進

法。夜の11時のコトを23時と表す。24

時は0時になるよね?もう少し細かく

言うと、23時59分59秒から1秒経つと

0時に戻る訳だから、24進法」


わたしはワクワクしながら言いました。


「59秒の後、1秒経つと60秒だから1

分になる。それが60進法だね?」


父は、うなずきながら、


「そうだ。60分経つと?」


と訊くので、わたしは、


「1時間。じゃあ、秒と分は60進法で

時間は12進法と24進法の両方があるん

だね?時計がわかるのってスゴいじゃ

ん!」


と言いました。わたしは、小さい頃に

はよく扁桃腺を腫らして熱を出す子だ

ったので、熱が高い時などに柱時計の

振り子のカチカチ言う音が追いかけて

来るみたいで怖かったんです。それで

3歳か4歳の頃から時計が何を教えて

くれているのか、恐いと思わないよう

に教えてもらっていたので、よく理解

出来ました。父は、


「お風呂の10進法や、時計の12、24、

60進法とかより、1番簡単なのが2進

法だよ。数字は0と1しかない。だっ

て2になる時に桁が上がっちゃう訳で

しょう?だから、数字を並べると、0、

1、10、11、100、101、110、111、

1000、…というふうになる。簡単に言

うと、『はい』と『いいえ』しかない

のが2進法だって考えればいい。これ

は簡単に偶数と奇数が判るよね?あ、

そうだね。偶数と奇数が何かってコト

だね?偶数は半分に分けられる数。奇

数は半分に分けると1余っちゃう数。

2、4、6、8、10は偶数で、1、3、

5、7、9、11は奇数」


この「桁が上がる」概念も「補数」と

いう概念を使って教えてくれました。


「或る数に対して桁の上がる一番小さ

い数を補数という。1➕9は?」


「10」


「2➕8は?」


「10」


「3➕7は?」


「10」


「4➕6は?」


「10」


「5➕5は?」


「10」


「じゃあ6の補数は?」


「えーと…、4」


「そうだ。正解。今、頭の中でどうい

うふうに考えた?」


「あのね、6に何を足したら10になる

か考えて、4を足したら10になるから

4て答えた」


「そうだね。でも、それって10から何

を引いたら6になるかを考えるのと同

じだと思わないか?」


「え?引く?」


「そう。6に4を足したら10になる。

で、10から6を引いたら4になる。足

す方を足し算と言って、引く方を引き

算と言う。あとで、おかあちゃまにも

足し算と引き算を教えてあげな。自分

が解るようになるには、人に教えてあ

げるのが一番頭に入るからね」


わたしが母に足し算と引き算を教えた

のは言うまでもありません。今、思え

ば、それを聞いて付き合ってくれた母

も、何も知らないわたしに初めから教

えてくれた父も、膨大な時間を費やし

てくれたモノだと感謝しかありません。


わたしが調子に乗って、


「補数っていうのがあって、足したら

10になる数のコトを言うんだって。だ

から1の補数は9でしょ。2なら8。

3なら7。4なら6…」


と母に説明して、


「9なら1。10なら0」


と言うと、父が、


「補数の定義を間違えてるぞ。足して

10になる数なんて言ってないよ。桁の

上がる一番小さい数って言ったんだ。

だから10なら…?」


「あ、90になるのか!」


わたしは驚きました。簡単だと思って

いたコトが、俄然難しい話に変わった

からです。


「じゃあ、0の補数は10じゃないの?」


父は少し頭を抱えて、


「0の概念はとても難しいんだ。何も

ないから0の場合もあるし、0がある

から0の場合もある。それはもう少し

大きくなって、算数から数学に変わっ

てから話すよ」


またまた驚きました。一番簡単な数字

だと思っていた0が、概念から難しい

なんて、もうワクワクしかないですよ

ね?


コンピュータ講座を観始めて、すぐに

掛け算や割り算も教えてもらいました。


「3×5は15。言葉にすると、3を5

回足すコト。つまり、3+3+3+3+3

のコト。これ、5回も書くのって大変

だろう?だから3の5倍は3×5って

書いた方が楽だろう?いろんなコトを

知ると、どんどん楽になるから人は学

ぶんだよ」


「8÷2は4。8の中に2は何回入っ

ているか?を訊いている。8-2ー2

ー2ー2は0だから8から4回も2が

引けた。だから8÷2は4。これは2

の4倍が8というコトでもあるよね?

だから2×4は8。足し算と引き算を

セットで覚えると解りやすいように、

掛け算と割り算もセットで考えると、

大きな間違いは減らせるようになるん

だよ」


5歳で四則演算の基本を教えてもらっ

て、6歳の時には九九はだいたい言え

るくらいにはなっていました。


そして、何か教わる度に、母に教える

訳です。母は聞いてくれて、解りにく

い所があると突っ込んで訊いて来る。

よくわからない時は、父に訊く。いい

加減に答えると、父が修正してくれる。


そして、小学校に上がる訳です。そこ

で、父と180度違うコトばかり教わる

訳です。


何か質問すると、


「今はまだそれは解らなくていいから」


とか、


「それは3年生になったら習うから」


とか、質問したくなるような疑問をい

つも消化不良のまま残されるのが学校

だという認識ばかりが溜まって行きま

す。


学べば学ぶほど、楽になるという父。


簡単なコトだけを教えて、質問には答

えてくれない学校。


しかも、小学1年生の時も2年生の時

も、学校で教わるコトはほとんど知っ

ていたので、学校は思っていた所より

はるかにつまらない所だというコトが

解りました。だから、小学校の低学年

では、伝記の本をたくさん読みました。


本をたくさん読むと、漢字もたくさん

憶えます。だから、先生より読めたコ

トもたくさんあります。「無線標識業

務」を「むせんひょうしきぎょうむ」

と読んだら、先生に


「それは、むせんひょうしょくぎょう

む、です」


と言われたり、「建立」を「こんりゅ

う」と読んだら、


「それは、けんりつ」


と言われたり…。次の授業で


「先生、やはり『ひょうしき』が正し

いと思います」


とか、


「先生、やはり『こんりゅう』が正し

いと思います」


とか、言うと、先生が、


「先生も調べてみた。ごめんね。先生

の方が間違えてた」


というコトばかり。なので国語の時間

に読めない字があると、生徒達がわた

しの方を見る、という状態が続きまし

た。なかなかいい気分でした。


そういうコトが何度もあったので、わ

たしが先生に、こう言ったコトがあり

ます。


「先生、僕がやっぱり正しいという前

に、調べて来たのなら『この間の〇〇

は先生が間違えました。hitty君の方が

正解でした』って先に言った方がいい

よ。お父さんから先生に『過ちて改む

るに憚るコト勿れ』って伝えてみたら

?って言われました」


滅茶滅茶、やりにくかっただろうと思

います(^○^)。


父の教えのおかげで、わたしは人に教

えるのが好きでした。自分がよく理解

するために教えるので、自分自身がよ

く解らない教え方をしてしまった時は

翌日、よく解るように考え直したコト

を伝えました。だから、


「先生に教わるよりhitty君に教わった

方が全然よく解る!」


とか言われていました。そして、


「『全然』は、〜ない、につながる言

葉だから、全然解るは、おかしいよ」


等と言っているちょっとイヤなヤツだ

ったと思います(^○^)。


ただ、こう書くとわたしは天才児のよ

うに思われるかも知れないので、当時

どのように思っていたのかを書くと、

自分は努力しないと、解らないタイプ

でした。だから秀才にはなれるかも知

れないけど、天才にはなれないタイプ

だと自覚していました。それに対して

妹は明らかに天才児でした。ひらめき

が違うのです。何かをジッと見ている

と、その構造が解ってしまうような所

があり、わたし達の考える上を行って

いるのです。わたしが都立高校の最難

関の1つに合格すると、妹は国立の高

校に受かってしまう、というくらいに

何をやっても歴然とした差がある訳で

す。中学の時にはわたしが野球部で主

将(キャプテン)でしたが、妹は陸上

部の主将でした。高校でも野球をやっ

ていたわたしに対して、「カッコいい

から…」と弓道部に入り、伝統ある武

道の有段者にサッサとなってしまう。


明らかに天才が身近にいると、かなり

の劣等感に苛まれるモノですが、うち

の両親は「好きなモノしか続かないん

だから、続いているモノが合っている

んだよ」くらいで、何かうまく行けば

一緒に喜んでくれますが、失敗しても

あまり頓着しない方でした。あ、でも

それは母の方ですかね。父はテストで

100点以外だと不機嫌になる人でした

ね(^○^)。教える上手さと、すぐヘソ

を曲げる偏屈さとを両方持っているよ

うな、子供の立場からすると、厄介な

父でした(^○^)。完璧な人は居ないと

いう典型的な例だったと思います。普

段は教えるのは上手いし、面白いし、

凄くいい父親なのですが、結果に対し

て不機嫌になられてしまうと、子供と

してはどうしようもありません。忖度

という言葉を覚えた頃、小学5年生の

頃だったと思いますが、父が省庁の役

人達が政治家に忖度して事実を曲げて

法案を通そうとしている、と読める新

聞の記事に目を通しながら、


「忖度するほどの政治家じゃないだろ

う?役人根性ってどうも好きになれん

なあ…」


と言ったのを聞いて、


「でも役人の気持ちもちょっと解る。

100点以外のテストをお父さんに見せ

る時はやっぱりドキドキするもん」


と言ったらヘソを曲げて、それから2

週間、全く口を利いてくれなくなった

時は閉口しました。


結局、この口を利かないという行為そ

のモノが「忖度」という感情を生み出

す原因だと思うって2週間後にキレ掛

かりながら言ったおかげで、また口を

利いてくれるようになりましたが、父

を少し責めるような話になると、


「子供に忖度させるような悪い父親で

すから!」


と言われ続けたコトは言うまでもあり

ません。そういう意味では、親の顔色

を見るように育てた父と、気にせず自

分の思うようにやりなさいと育てた母

のバランスが良かったのかも知れませ

ん。


今なら父のコトも、子供みたいな所の

ある父だった、と思えますが、それを

反面教師にしてしまったわたしは、自

分の子供には、どんな時でも口を利か

ないような陰険なコトはしない!と決

めていたので、日頃は普通に接してい

ましたが、テニスのプロになりたい!

と言っていた時期に、自分の力が発揮

出来ていない時には、かなり厳しく叱

り飛ばしていたので、娘もカミさんも

凄く怖かったそうです。だから、いろ

んな相談がしにくかったと言われます

が、息子自身は、


「どんな時でも自分の力を発揮出来る

ようになったのは、あの時のあの叱り

方のおかげだったと思うから、俺は良

かったと思ってる」


と言ってくれています。ただし、どん

なに叱り飛ばしている時でも、必ず息

子が疑問に思っているコトや、問いか

けには一緒に考えて、その時点では最

良の答えに辿り着いていたと思います。


失敗した時は、こっぴどく叱られた方

が、次はどうしたらいいかを考え易い

と信じていましたし、もし、自分はベ

ストを尽くしていたと言い切れるなら

反論すればいい!とも言っていました。


実際に、その時に叱ったコトがその大

会のうちに、とか、次の試合で、とか

確かめるコトが出来るような場面に遭

遇するコトが多々あり、息子も


「さっき言ってたコトの意味がよくわ

かった」


というシチュエーションが多かったの

もあって、息子と他の家族では捉え方

が違っていたようです。


でも。そんなにハッキリした父の付き

合い方を見て育ったにも関わらず、他

の家族を萎縮させてしまうような付き

合い方しか出来ない自分に、とても不

甲斐ない思いを感じていたのも事実で

す。なかなか思ったような付き合い方

をするのは、家族でさえ難しいのです

から、人付き合いは大変ですね(^○^)。


さて、わたしが小学校に入学した時、

お祝いに何が欲しいか訊かれ、


「地球儀が欲しい」


て答えたので、小さめの地球儀を買っ

てもらいました。実は自分が生きてい

る「地球」ってどんな所なのか、真っ

先に教えてくれるんだろうなあ…、と

学校に期待していたんです。宇宙を飛

び回っている地球の上に居て何故落っ

こちないで立って居られるのか?とか

地球には何故人間が住める環境が出来

たのか?とか、知りたいコトが山盛り

だったからです。この疑問に先生は、


「宇宙物理の話は中学3年の地学か、

高校での物理学で習うから、それまで

待っててください」


という答え。そんなの好奇心の塊の小

学1年生が待てる訳ないと思いません

か?


続いて、「人間」も解らないコトだら

けでした。そもそも、「生きる」とい

う日常の行為ひとつ取っても、大切な

呼吸も、心臓を動かす筋肉も、自分の

モノの筈なのに、勝手に呼吸したり、

勝手に動いたりしていて、より良く生

きるために、自分で動かしたり、たま

には休ませたり、そういう気遣いをし

ようにも、ずーっと勝手に働いてくれ

ている訳です。思うようにならないの

は何故か?と訊いても、


「それは、いっぱい勉強して大学で医

学部に入って、更に一所懸命勉強した

ら解るようになるかも知れないね」


というのが先生の答え。要は「地球に

住んで、より良く生きる」という基本

的なコトを学ぼうと思ったら、大学で

必死に勉強しても、解るか解らないか

確実ではない所が学校という存在だと

教わる訳です。


小学1年生の時点で、学校という所は

知りたいコトは何も教えてくれない所

だというコトを理解したので、自分で

学ぼうと思った訳です。


ちなみに、父は地球から落っこちない

理由は、


「重力という力がある。地球上のモノ

は全て地球の中心から引っ張られる力

が掛かっているから、持ってるモノの

手を離すと下に落ちるだろう?上に飛

んで行ったりせずに、必ず落ちる。じ

ゃあ何故必ず落ちるのかというと、地

球は他の星と引っ張り合っているから

だ。その星同士が引っ張り合う力を、

引力という。ただし、大きな宇宙だと

星同士の話になるが、コレは小さな物

質の間でも働いている力だ。陽子の回

りを回っている電子も同じように引き

合う力が働いている」


そう言いながら、陽子の回りを回って

いる電子を図に書いて説明してくれま

した。


「モノの中にはこんなにたくさんの隙

間があるようには思えないけど、どん

なに小さな物質もこういう構造になっ

ている。というコトは、小さなモノに

も、小さな宇宙が存在していると思わ

ないか?想像を絶するデカい方を宇宙

と呼び、想像を絶する小さな方を物質

と呼ぶ。面白いよなあ…」


とか、言われる訳です。コレは解った

ような解らないような話だけど、ワク

ワク感は膨れ上がります。で、学校で

続きを聞きたくて質問すると、結局、

今、教えるつもりはないコトだけが伝

わって来る訳ですから、学校では先生

の品定めをするくらいしかやるコトが

無い訳です。


人間の呼吸と心臓の鼓動についても、


「勝手に呼吸したり、勝手に心臓が動

いたりするのは、何もまだ解らない赤

ちゃんの時から生きているからだと思

う。それに、人間は寝ないと成長しに

くいから、寝てる間に呼吸や心臓が休

んじゃうと、必要な睡眠の間に死んじ

ゃうと困るだろう?よく出来てると思

わないか?人間の知恵だけじゃ、そん

な所まで考えて出来た筈ないと思う。

人間を作ったのが神様だ、って言われ

ても信じる気持ちになるよなあ。神様

って言うより、何か宇宙のバランスみ

たいな何か、だと思うんだけど…。そ

の先は、おまえが学んで辿り着け!が

んばれ!」


と、そういう感じでした。訊いたコト

に対して、答えが解らなくても、父が

考えているコトは教えてくれる存在で

した。わたしは、子供達に父のように

は接するコトが出来なかったと思いま

す。いつも時間が無かった記憶ばかり

が思い出されます。今なら、時間は作

るモノだから、訊かれたコトには誠心

誠意応えようと思いますが、そのため

に自分で会社を起こして、自分の使い

たい時間を自由に出来る環境を作った

のに、仕事のアップを常に最優先して

いたなあ…と反省ばかりです💦。


今、そういうわたしに関わってくれた

存在達を思い出しながら考えてみると

本当に自分の未熟さを痛感するコトば

かりで、もっとしっかりしなくちゃ!

と思います。人生は短過ぎますよね?


とても60年も生きて来た気がしません。

まだまだ未熟で体感的には30年くらい

の感じでしょうか?その意味でも、こ

の病気にかかって、本当に良かったと

思います。一度、完全に立ち止まるコ

トが出来たおかげで、自分のクオリテ

ィー・オブ・ライフを見直す時間を持

てたコトに今更ながら感謝しています。


もし、健康なまま、現在も走り続けて

いたら…と考えると、かなりゾォーっ

とします。本当に、宇宙のバランス的

存在はいらっしゃるのでしょうね。


軽い病気(糖尿病や高血圧や花粉症)

では生活や生き方を見直す所までは行

かなかったので、重い病気(慢性腎不

全)で、カラダの構造から考え直すキ

ッカケをくれる。どこまでもわたしの

ために、チャンスを与え続けてくれる。


そして、日本の社会構造のおかしさに

は、今回のコロナ禍と呼ばれた「ワク

チン禍」で、世界の構造のクソみたい

な仕組みから、マッカーサーが自分が

大統領になる前提で交わした米韓密約

による在日支配の構造まで白日の下に

晒される結果となり、統一教会と創価

学会による支配構造は無くなるでしょ

うし、自民党と公明党(わたしは小さ

い頃、「こんぺいとう」だと思ってい

ました)も、事実上の解党に向かうと

思います。実行力をいくら叫んだ所で

増税以外は何もやっていないし、やっ

たコトと言えば、ダンサーとの不適切

な会合や、外国人サックス奏者との不

倫セックスや、脱税、裏金作り、自分

達を縛るために存在する憲法を弄ろう

とするコト。犯罪だけしかやっていな

い連中が、党を維持出来る訳もなく、

さすがに税金を使い過ぎて嘘だけでは

どうにもならなくなって来ましたよね?


「ワクチン禍」にしても、年金を使い

込み過ぎて、需給対象者達を皆殺しに

してしまえば、支払い対象者は居なく

なる、程度に考えた話だと思います。


ディープステートをはじめ、金の亡者

達の考える戦略は、「戦略」と呼べる

レベルのモノはありません。人口が増

え過ぎたから削減しよう、70億を10億

にまで減らそう。コレは「60億人殺害

計画」で、どこをどう考えたって犯罪

以外のナニモノでもありません。


もともと、金融システムだって同じコ

トです。みんなが銀行に預けるから、

そのお金を誰かに貸して利息を利益に

するのが銀行業務だと大学では習いま

す。


わたしは大学生の時、銀行業務を調べ

ていて、借方に対する貸方を調べてい

る時、誰かの口座から貸すから借りる

コトが出来るのだと思っていたら、誰

の口座からも貸し出さないのです。


相対勘定は「現金」。つまり、誰かが

借りた金額は、銀行が作り出してしま

って記帳だけが為される訳です。こん

なデタラメがまかり通っているのを知

って、お金は実際には何も裏付けのな

いモノだったコトを知り、お金のコト

を学校では教えられない訳を知りまし

た。つまり、財務省で作っているのは

紙幣や硬貨等の通貨を印刷したり、鋳

造したりしているだけで、実際には銀

行が発行しています、とは言えないで

すもんね。でも、コレが解るとBIS規制

の自己資本比率が何故問題になるかが

解りますよね?。自己資本の何倍まで

貸し出すコトが出来るか?が銀行に取

っての実務になるからです。つまり、

ロスチャイルドの考えた信用創造とは

お金のない所からお金を作り出す錬金

術だった、という詐欺的手法であるコ

トが解ります。


それから、銀行側からすれば、単位通

貨以下の金額(つまり日本円なら1円

以下の端数)を振込手数料等のパーセ

ンテージで計算するモノだけで、全て

の銀行の支店レベルで毎日600万円を

超える金額になるんだそうです。東証

プライムの社員の給与を担当している

銀行等では、場合によりますが、その

10倍くらいにはなる所もあると聞きま

す。このデータは、以前さくら銀行か

らシステム受注したソフトハウスのプ

ログラマーが端数振込プログラムを稼

働させて発覚した数字です。いくらで

も、金融系統は悪いコトをしようと思

えば、入り込む余地はありそうですね。

彼がその端数の合計を自分の口座に振

り込むプログラムを書いて、大きな金

額が連日振り込まれるので、怪しいと

感じた銀行員が調べたら、この間まで

システム開発をしていたプログラマー

の口座に銀行の勘定元帳からの振込。

(念のため。現在は端数を計算するプ

ログラムを埋め込むコトは禁止された

そうですが、誰が管理しているのかは

公にはなっていません。基本的に1円

以下は切り捨てるコトという通達以外

には確認のしようがありません。もし

頭取が自分の口座に振込指示を出して

いても、誰も確認出来ません)これは

誰かの口座に振り込む形にせず、何か

別の送金手段が取れるなら完全犯罪に

なる可能性があります。端数は通帳上

は存在しないお金なのに、計算上は存

在するお金なのですから。


これからは、悪いコトにではなく、い

いコトに頭を使いましょう。しかも、

自分にだけいいコトは、周りを幸せに

はしないコトもありますから、give &

takeではなく、give & be givenで行

きましょう。与えて取る、では順番の

問題になってしまいますよね?だから

give & be given。与え続けるといつ

か与えられるようになります。それを

豊かさと呼ぶと思うから。


今回は超長文にお付き合いいただき、

誠にありがとうございます❣️