hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

はないちもんめ

ご来訪いただき、有難うございます!


モノのとらえ方・考え方で、同じコト
をしていても、まったく違うモノに変
わったりします。


『凪のお暇』を観ていて、想い出した
コトがあります。


小さい頃、「はないちもんめ」が好き
でした。男の子も女の子も一緒に遊べ
るし、そのメンバーの中で何番目くら
いに欲しいって言われるか、ちょっと
ドキドキしながらやっていました。


小学校に行くようになって、近所のガ
キ大将のカズちゃん(2つ上の3年生
の男の子でした)の学年の子達と「は
ないちもんめ」をやった時は、なかな
か名前を言ってもらえなくて、カズち
ゃんに、


「3年生達とやると、なかなか欲しい
って言ってもらえないね」


と言ったら、カズちゃんは笑いながら


「ヒトシはそんなコト考えてるのか。
俺なんかだいたいカズちゃんチームの
リーダーだから最後まで残るコトが多
いだろう?自分のチームに誰が欲しい
かは考えるけど、相手チームに名前を
呼ばれたいってのはあんまり考えたコ
トないなあ…。おまえもヒトシチーム
を作るようになるだろうから、自分が
欲しいヤツを見つけておいた方がいい
ぞ」


と言うと、相手チームに


「おい。この1年生、ヒトシって言う
んだ。名前知ってた?」


と声をかけてくれました。間もなく名
前を呼んでもらって、


「ヒトシくんが欲しい」


と言われて嬉しくなってしまいました。
ヒトシと言うのはわたしです。hittyは
ヒトシから付けたハンドルネームです。
この時、カズちゃんから2つ教わりま
した。


1、「はないちもんめ」で相手チーム
に選ばれるかどうかは相手次第なので
自分がリーダーになったつもりで自分
が欲しい相手を考えておく。


2、仲のいい相手とではない場合は、
自分の名前を相手に伝えておく。


小学1年生のわたしは、はないちもん
めをして遊ぶ友達は仲良しの友達だけ
でしたから、知らない相手とのはない
ちもんめでは相手に名前を知らせてお
くコトが必要だというコトに気付いて
いませんでした。幼稚園に行かなかっ
たわたしにとって、初めての集団生活
が小学校でした。


それに、自分の人気がどれくらいある
のかを知る遊びだと思っていたのに、
実は自分のチームだと思ってどんなチ
ームにしたいのかを選ぶ遊びだという
視点の変更は、考え方の広がりを意識
するコトになりました。


当時のガキ大将って、社会を教えてく
れる存在でした。そして、面倒見のい
いガキ大将が居る地域の子供達は通常
とても仲良しでした。カズちゃんの妹
のメグちゃんが、わたしの同級生でし
た。その子とも遊びましたが、カズち
ゃんと近所の子達と遊ぶコトの方が多
かったんです。野球やドッジボール等
のスポーツは男同士の方が楽しかった
からです。


実はこの考え方を教えてもらってから
いろいろ考えました。そしてとても気
が楽になりました。選ばれなくてもい
いや、と思えるようになったからです。


それにカズちゃんは、ちょっと不思議
なコトを言いました。


「好きな子が出来たら、その子とは別
のチームになって、その子が欲しいっ
て言えばいいんだよ。告白しなくても
気になってるコトは伝えられるだろう
?」


今までは自分が選ばれたいと思ってい
た遊びで、今度は自分が選びたい相手
を決める遊びに変わる・・・。


たぶん、わたしがその後、大人になっ
てからもリーダーのイメージはきっと
カズちゃんだったと思います。


そのあとも、15分休みとかに「はない
ちもんめ」でカズちゃんが誘ってくれ
る時には「おーい、ヒトシ~!はない
ちもんめやるぞ~!」と大きな声で名
前を呼んでくれるようになりました。
3年生の彼の友達にわたしの名前を知
らせるために、すごく大きい声で呼ば
れる訳です。優しいなあ…と思いまし
た。


野球をする時にも、カズちゃんに負け
ないようにうまくなってやる!と思っ
ていました。近所で野球をする時に、
カズちゃんチームと当時4年生だった
Ⅰくんチームに分かれて試合をする時
に、「取り取り」という、ジャンケン
で勝った者が好きな人から順番に指名
して行くチームの作り方をしていまし
た。


わたしは負けず嫌いで、1年生のクセ
に、わたしよりヘタなのに先に指名さ
れる2年生とかが居ると、家に帰って
から悔しくて泣くようなタイプでした。


おけげさまで2年生の時には、カズち
ゃんが取り取りで1番最初に勝った後
には「オレはヒトシ!」と指名される
ようになりました。野球で他の誰にも
負ける自分は許せなかった。1番年上
のⅠくんよりカズちゃんの方が上手か
ったので、自分よりうまい選手はカズ
ちゃん以外は認めない、と思っていま
した。


だから、野球が上手くなったのはキャ
ッチボールに付き合ってくれた親父と
わたしの目標のカズちゃんのおかげで
した。


学校では同じ学年では1番打っていま
したし、6年生の時、友達と野球をし
て遊んでいたら、リトルリーグの監督
からスカウトされるようになったのも
カズちゃんのおかげだと思います。


カズちゃんはスポーツ万能で、面白く
て、明るい男の子でした。彼が6年生
の時に引っ越して行ったんですけど、
わたしが4年生だったので、


「ガキ大将はヒトシに任せた。他の地
域の悪ガキから、この近所の子供達を
守るのはヒトシの仕事だからな。大変
だけど、自分のコトばっかり考えてる
ようなガキ大将にはなるなよ!」


という申し送りをされた時、責任感と
共にとても誇らしく感じたコトを思い
出します。


わたしが高校生の時、ガキ大将を申し
送る相手が居ないと相談して来たガキ
大将が居て、わたしの後の3代目でガ
キ大将は居なくなったと思いますが、
その頃から、公園でバットを振るな!
という看板を当たり前のように見かけ
るようになったのを憶えています。


つまり、スポーツをそれなりに頑張ろ
うと思ったら、どこかに習いに行かな
いと、やれる環境がなくなった頃だっ
たと思います。


昔と今では環境が違うので、思い出の
方向が違っていますが、はないちもん
めという遊びのおかげで、考え方や見
方を変えると、同じ遊びでも別モノに
変わるというコトを小学1年生の時に
教えてもらえてラッキーだったなあ…
と、最近特に思います。