hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

ドン底から出発すると…

ご来訪いただき、有難うございます!


このブログを書き始めた頃、人生ドン
底でした。


どう、ドン底だったかというと、或る
意味、一番自信のあったカラダを壊し
てしまい、しかも透析治療が必要で、
週に3日は病院で3時間ずつ(当時の
話です。今は4時間ずつ)の血液透析
を受けなければ死んでしまう、と言い
渡された頃でした。


旅行にも行けません。また、どんな旅
先でも、あらかじめ透析の出来る設備
のある医療機関での透析予約が出来て
はじめて旅行計画を立てても良い、と
いう透析中心の生活しか出来なくなる
コトが突き付けられた頃でした。


結婚した頃、まだ事業もやっと軌道に
乗り始めた頃だったので、カミさんを
新婚旅行にも連れて行けませんでした。
年を取ったら、一緒にいろんな所に行
って、新婚旅行の穴埋めをするからね、
と言っていたのに旅行そのものが制限
されるなんて、想定外で申し訳ない気
持ちでいっぱいでした。


その頃、生まれて初めて呼吸困難とい
う状態も経験し、肺や心臓等の臓器が
水浸しになるという状態も経験し、横
になって寝ようとしても、肺が水浸し
なので、横になると背中側の一面が水
で埋まってしまい、苦しくて、椅子に
座って寝るか、ベッドに入ってもカラ
ダは起こしたまま寝るかしかなかった
時は、後は死ぬのを待つだけだ…と、
本気で思っていました。


社会と接点を持つには、ブログ等のS
NSしかない!、と思い込んでいまし
た。相手と時間をすり合わせてアポを
取ったところで、週に3日は透析の日
なので、事実上、こちらから日にちを
合わせるのは、ほぼ無理です。


そこで最初の頃は、人と会うのがとて
も億劫になってしまい、誰とも会わず
に済ませる方法や、ネット上で完結す
る方法ばかり考えていました。


ところが、透析を始めて半年くらい経
った頃には、透析治療が終わっている
深夜帯で、週5日も働けるようになっ
て、夏場の台風シーズンには気圧の関
係でちょっと体調を崩して、今の物流
のサポート業務に変わりましたが、少
し前のコトが嘘のように、「最強の横
乗り」と言われるまでになり、荷物量
の多くなる12月は、透析日以外の全部
(今までの週3日から日曜日も)手伝
って欲しい、と言われるまでになりま
した。


そして、このブログで知り合った編集
さんから出版の話をいただき、透析日
には原稿をまとめる作業をしたりして
なんだかんだと充実した日々を過ごし
ております(^○^)v。


何が一番変わったのか?というと、自
分のコトを客観視できるようになった
所が一番の変更点だと思います。


以前なら、自分のコトを主観的に考え
ていたので、少し頑張れば、とか、ち
ょっと無理してでもコレは終わらせよ
う、とか、思っていました。でも今は


《ここで無理すると後でしっぺ返しが
来るだろうなあ…。そうすると家族に
迷惑をかけるかも知れない…》


等と思えるようになったおかげで、無
理をするコトがほぼ無くなり、いつで
も同じような状態を維持するコトが出
来るようになっていると思います。


あの、本当に憂鬱だった透析の治療に
通うのさえ、菜々緒似の看護師さんや
川栄似の看護師さんや村上華岳の「裸
婦像」(国宝)似の看護師さんに会え
るなあ…♥️と、むしろ楽しみの一つに
なっているくらいです。


火曜日には、「ダイヤのA」「ブラッ
ククローバー」等のアニメも見られる
し、土曜日には、「僕のヒーローアカ
デミア」や「名探偵コナン」も治療中
の楽しみの一つになっています。


火曜と木曜にはMXの「5時に夢中!」
という、もし、透析をしていなければ
絶対見るコトのなかった番組にも出会
えたし、渋野日向子プロの出ているゴ
ルフ中継も時間の有り余っている透析
の時間だから観るようになったんだ、
と思います。


そう考えると、透析もまんざら捨てた
モンでもないなあ…と思うようになっ
ています。なにより、この治療のおか
げで、横になって寝られるようになっ
たばかりか、外で働くコトも出来るよ
うになったし、週に3回も健康相談を
出来る環境があるなんてちょっとVI
P気分を味わえるじゃん?とか思って
います。


それに、何か考え事をしたい時には、
本当に時間はいくらだってある訳です。


この状態に文句なんかある訳もなく、
病気になった頃は、何故、あんなに絶
望感を感じていたのだろう?と不思議
な気分になるほど、今は幸せな気分を
満喫しています。


カラダを壊す前の生活を、コピーライ
ター的に表現するなら、まさに「回遊
魚」のようだった、と思います。止ま
ったら死んでしまうのではないか?と
思うくらい、いつも走っていました。


今はむしろ、歩く楽しさを知って、の
んびりゆっくり動く楽しさを知った分
だけ、行動に豊かさが加わったと思い
ます。


今回、何が言いたいのか?、と言うと
今、絶望感を味わっていても、いずれ
笑い話になる、というコトが言いたい
んです。


わたしが会社をやっていた時、最初の
年は、来月までの15万円をどうやって
捻出するか?に頭を悩ませていた筈な
のに、10年後は、来月までの1500万円
をどうしようか?で奔走していました。


たった10年間で、規模が100倍になっ
ているのを自覚した瞬間、少しだけ、
のんびりしてもいいんじゃないか?と
思いました。


そして、今、カラダを壊して絶望感を
味わった代償として、のんびりゆっく
り暮らすのが当たり前の生活を送って
います。


人間万事塞翁が馬、と言います。また
禍福は糾(あざな)える縄の如し、と
も言います。


何が幸いなコトで、何が不幸なコトか
なんて、後になってみなきゃわかりま
せん。


懸命に走っていた頃は、休むコトは悪
であるかのように感じていました。


歩くようになって、ゆっくり生きて行
くコトの楽しさを知り、あの頃は、ど
うしてあんなに休めなかったんだろう
?と、むしろ不思議に思うようになっ
ています。


欧米の「日曜に働くコトは悪だ!」と
いう考え方を、以前は《確かに聖書で
は神も6日間、地球や生物を作って、
7日めには休息を取ったコトになって
いるけど、それはキリスト教徒だから
で、仏教徒の日本人としては、そんな
の関係ねーし!》とか思っていました。


思い切って、カラダがぶっ壊れたから
こそ、初めて休まざるを得なかった訳
で、だからこそ、休めた訳です。


何か、今まで出来なかったコトをする
上で、絶望するような経験を強制的に
すると、ごく自然に、今までとは違っ
た生き方が出来るようになったりしま
す。


その時のコトを、後で振り返った時、
「あの時の、あの出来事が、今の自分
を作ってくれたんだなあ…(^○^)」
と感謝出来るようになった時、本当の
意味で、「幸福は足るを知るに在る」
(英語では、Happiness consists in
contentment.)という境地に達するの
だと思います。


それこそ、カラダを壊して休息を与え
てくれたのは、神様なんじゃないか?
と思えるようになると、いろいろなコ
トに感謝出来るようになります。


それから、考え方が素直になります。
妙にねじ曲がった考え方ではなく、ご
く当たり前の考え方をするのが普通に
なります。


被害妄想的な考え方でもなくなり、感
謝が前提の考え方になります。


だから例えば、カミさんが疲れて仕事
から帰って来た時に、洗い物が片付い
ていた方が嬉しいだろうなあ…とか、
勝手に考えて、時間があれば洗い物な
んかはしておいたりします。でも自分
がやりたいからやっているので、何も
言われなくても平気です。


以前は、洗い物をしておいたのに、何
もカミさんが言わないと、《もう二度
と洗い物なんかするもんか!》と思っ
ていました。カミさんが毎日洗い物を
してくれているコトには感謝なんか、
伝えていないくせに、です。


今は、洗い物をしながら、カミさんに
対して「いつも何も言わずに洗ってく
れてありがとう」とか、感謝しながら
洗っています。そこが本当に大きく変
わった所だと思います。


絶望を感じた内容のおかげで、ゆとり
を持った豊かさを感じるコトになるな
んて、当時は考えつかなかった…。


だから、あなたも絶望感を味わうよう
な大変な目に遭っても、


「いつ、この状態に感謝出来る日が来
るんだろうなあ…。楽しみだなあ!」


と思って、少しだけワクワクしてみて
ください。わたしは最近、何があって
も、少しだけワクワクするようになり
ました。


それがコツです。「少しだけワクワク」
がコツなんです。いっぱいワクワクし
てしまうと、辛い時に、今を客観視で
きなくなってしまいます。今を客観視
しながら、相手の気持ちを想像してい
るうちに、自分の辛さが相対化できる
ようになります。


そこから、辛いのは自分だけじゃなく、
関わっている人の気持ちや自分の現状
を再認識し直す訳です。すると、以前
望んでいた環境に、結果として、なっ
てるじゃん?とか、周りの人にかけて
いる迷惑を客観視して、その人達に少
しでも、いい感じを与えられないか?
と自分の行動を見直したりしてみるん
です。


これ、言葉にすると面倒臭いコトのよ
うに感じるかも知れませんが、一度、
絶望した後だと、案外簡単なんです。


だって、その状態以下には、ほぼなら
ない訳ですから…。


何をやっても、現状以上に向かってく
れるので、《よし、やってやれ!》と
いう気持ちになりやすいんです。


何が幸いにつながり、何が不幸につな
がるのかなんて、その時にはわからな
いモノです。


何かが起きた時、少しだけワクワクし
て、その時のコトを客観視してみると
なんとかなると思います(^o^)v。

タイトルについて

ご来訪いただき、有難うございます!


前回、わたしの子供の頃のかなり長い
話をちゃんと読んでくださり、本当に
ありがとうございます!


結構、読むだけでも大変な記事だった
と思います。にもかかわらず、たくさ
ん「いいね!」を押していただき、と
ても嬉しく感じました。ありがとうご
ざいます。


記事の内容を書いている時、毎回読者
の皆さんはどう感じるだろう?という
コトを考えながら書いていますが、た
まに書きたいコトを優先して書く時が
あります。


前回がまさにそういう回でした。


友達からも、


「オマエが天文関係が好きなのは知っ
てたけど、望遠鏡であんなに時間を使
ってたのは知らなかった」


とか、


「小学校の高学年の頃から夜更かしだ
ったのは知ってたけど、夜な夜な星を
望遠鏡で観察しながらワクワクしてた
なんてロマンチックなヤツだとは知ら
なかった」


とか、


「星だけ見てた訳じゃなかろう?」


とか、


「タイトルだけど、『マクロとミクロ
のバランス』よりも、『子供時代と望
遠鏡』とか『一番嬉しかったプレゼン
ト』とか、もっと分かりやすいタイト
ルの方がよかったんじゃない?」


とか、いやいや、いろいろと言いたい
放題の御意見をいただきました。


ひとりだけ、


「前回の『現代のSM』のマグロとマ
クロが掛かってるんだろう?だから、
『ミクロとマクロのバランス』じゃな
くて『マクロとミクロのバランス』っ
てタイトルにしたんだろう?オマエの
記事を読んでくれる読者は、今回突然
読んでくれる読者より、前回も読んで
くれた読者が多そうだから、前回との
関係を考えながら読むと、ニヤッとし
ちゃう記事がたまに出て来るよな」


と、わたしがニヤニヤしながら付けた
タイトルの意味を理解して笑いながら
言ってきたヤツも居ます。


彼とは、或るコピーライト企画で張り
合ったコトもあります。やはり、タイ
トルに含ませている意味を掴んで来る
ので楽しいです。


そこで、どうしてそこに気付いたのか
を訊いてみると、


「記事を読んだ時に、タイトルとの違
和感を感じた。確かに、そういうタイ
トルでもおかしくない内容の部分はあ
るけど、どうもスッキリしない。で、
一つさかのぼって読んだ瞬間、『あっ、
コレだ!』と思った。ドサバとドマグ
ロはオレも笑ったから、マグロの余韻
で、このタイトルだ!とピンと来た。
どうしてこのタイトルなんだろう?と
意味を考える時は、違和感の正体を感
じるコトだと思う」


という実に明快な回答をくれました。


ニヤニヤしながら書いた記事を、同じ
ようにニヤニヤしながら読んでくれて
いる読者がいると思うと、なんだか、
ニヤニヤしてしまいます(^○^)v。

マクロとミクロのバランス

ご来訪いただき、有難うございます!


子供の頃、親にもらったプレゼントで
一番嬉しかったのは、望遠鏡でした。


小学5年生のクリスマスに当時の池袋
西武の8階にあったメガネサロンとい
うレンズ関係のモノならなんでも扱っ
ていたお店で、ビクセン製屈折赤道儀
付き天体望遠鏡🔭「ポラリス3」とい
う対物アクロマート80㎜、焦点距離は
1200㎜のとても立派な望遠鏡を買って
もらいました。


小学3年生の夏に初めて望遠鏡が欲し
い、と父に頼みました。当時、わたし
が欲しかったのは、ビクセン製屈折経
緯台付き天体望遠鏡「ポラリス1」で
した。確か、対物レンズが65㎜で焦点
距離は910㎜だったと記憶しています。


親父は、


「本当に、一番欲しいモノがそのポラ
リス1なのか?せっかく買うなら一番
欲しいモノを探してごらん」


実は、その時まで望遠鏡は屈折式しか
知りませんでした。覗いた先に星が見
えるのが望遠鏡だと思っていました。


ところが、調べ始めたら、望遠鏡って
とても奥が深くて、屈折式だけでなく
反射式という方式があるコトや、星を
観るだけなら双眼鏡もあるなあ…とか
選択肢がいろいろあるコトがわかりま
した。


レンズが大きい方がよく見える訳です
が、それはレンズの収差の問題だった
り、焦点距離が910㎜のモノと1200㎜
のモノでは何が違うのか?とか調べ始
めたら、接眼レンズの倍率を上げても
よく見えるように、長い焦点距離が必
要だったり、面白くて面白くて、小学
3年生の冬、わたしは親父に、


「あと1年、本当に欲しい望遠鏡を調
べて、これだ!と思うモノを見つけた
ら、改めてお願いするから、1年間は
調べに行く電車賃は出してくれる?」


とお願いしました。当時はインターネ
ットなんかありませんから、池袋西武
のメガネサロンに月に2回、通って訊
いていました。行くのは月に2回です
が、毎日毎日百科事典で調べた「解ら
ないコト」ノートを作って、一つ一つ
理解するために質問を書いて行きまし
た。親父から、


「お前が欲しいって言ってた望遠鏡は
経緯台だったけど、赤道儀台っていう
のはどういうの?」


と訊かれ、池袋のメガネサロンで訊い
て帰って来て、


「一度、北極星の位置に望遠鏡を合わ
せて調整しておくと、その後は星の運
行に合わせて微動ハンドルを動かすだ
けでずーっと星を観ていられる優れ物
だよ!北半球では北極星でいいんだっ
て!」


と答えたり、小学3年生〜4年生の冬
までは、毎回、望遠鏡について詳しく
なって行くのが、本当に楽しいなあ、
と思っていました。


反射式は、100㎜の反射鏡の高解像度
のモノもありましたが、どうしてもズ
ンドウな感じと、星を見るのに望遠鏡
の横から観るスタイルが好きになれず、
やはり屈折式を選びました。


そして4年生の冬、本当に欲しい望遠
鏡はポラリス3に変わったコト、経緯
台より赤道儀台の方が欲しくなったコ
ト(毎回星の動きを追い続けられない
経緯台より、一度合わせたら星の動き
に合わせて動く赤道儀台の方が観察を
続けやすいコト)、焦点距離1200㎜の
方が接眼レンズのバリエーションを選
べるコト、等々…、理由もしっかり伝
えて、いよいよ買ってもらえるコトに
決まった時、メガネサロンの店員さん
が、


「買いにおいでになるのは、お父様で
すか?」


という質問をさりげなく、したのです。


その質問の意味がわからなくて、どう
して、その質問をしたのかを訊きまし
た。すると、


「この望遠鏡は、全てを梱包すると25
㎏あります。しかもサイズもとても大
きいので、お客様だけでは、とても持
ち帰るコトは出来ないお荷物になりま
すので…。配達にしますと、望遠鏡の
お値段と別途で12000円いただくコト
になります」


わたしの家は当時、団地の3階にあり
ました。エレベーターは無く、階段の
3階です。


当時、小学4年生だったわたしには、
絶望的な話だと思えました。家に帰っ
て、親父にそのコトを話すと、


「今から鍛えて、来年になるか再来年
になるかはわからないけど、お前とお
母さんと二人なら持って帰れるように
してみたらどうだ?家までは配達して
もらったっていいんだよ」


わたしとしては、絶対に持ち帰るべき
モノでした。望遠鏡だけでも、10万円
近くするのです。運送費を入れて10万
円を超えてしまうのは、欲しい望遠鏡
すら遠のいてしまうように感じました。
わたしは親父に、


「来年、絶対持ち帰れるようにするよ。
今から体力を付ける。力持ちになって
おっかさんにも迷惑かけないようにす
るから見てて!」


そして4年生の冬から5年生にかけて
腕立て伏せとか、公園に行って高鉄棒
で懸垂をしたり、とにかくパワー系の
トレーニングをいつもしていました。


いつの間にか、何のためにトレーニン
グを始めたのか忘れていた頃、親父に


「池袋で〇〇を見て来てくれるかい?
お母さんと一緒に行って、夕方の電車
が混む前に帰っておいで」


と突然言われ、少し駄々をこねました
が、とりあえず池袋に行くと、お袋が
西武デパートの8階に向かって行きま
す。わたしは、


「今日は違う用事だよ。デパートじゃ
ないよ」


というと、お袋は、


「そう言わないと、お前はまだ25㎏は
持てない、とか文句言うだろう?だか
ら、違う用事を伝えたんだよ。お父さ
んは『もうアイツ、大丈夫だろう?』
って言ってたよ」


そう言って、8階へ上って行きました。
親父は病気だったので、重いモノとか
は、持ちませんでした。家族旅行の時
だって、重いボストンバックは、お袋
かわたしが持つ役目でした。


メガネサロンに着くと、店員さんが、


「ようやくお客様のモノになりますね、
この望遠鏡が…。3年越しですね」


と、後は梱包するだけの状態で、用意
しておいてくれました。


ずーっと欲しかった望遠鏡の全貌を見
ると、真っ先に《これから夜は望遠鏡
を覗きたくてワクワクして眠れなくな
ったりして…》と思いました。


そして、もう一つ…。


箱がデカいんです。子供の棺桶くらい
あります。そう思った瞬間、お袋が、


「この箱はいいね。お前が悪いコトし
たら、この中に閉じ込めるのに、丁度
いいや。棺桶みたいだし。あははは」


と言いました。親子って、似たような
コトを考えるモノだと思いました。そ
してお袋は、


「お父さんが今年のクリスマスプレゼ
ントに望遠鏡を買ってあげるコトにし
たんだよ。お前が望遠鏡を欲しいって
言い出した時、すぐに飽きると思って
たんだって。だから、よく調べてごら
ん、て言ったんだって。そしたら、お
前は、どんどん詳しくなっていって、
どうやら本気みたいだ、と思ってたけ
ど、持ち帰るのに体力トレーニングを
始めた時から、もう買うコトは決めた
んだって」


わたしはビックリしました。と、同時
にとても嬉しくなりました。親父は、
望遠鏡が重くて持てなかったら、配達
してもらってもいいから、とお袋には
言ったそうです。でも、意地でも持っ
て帰りたかった。


店員さんが梱包が終わると、望遠鏡の
箱を台車に載せて、エレベーターに乗
せてくれるだけではなく、駅のホーム
も運んでくれて、電車まで乗せてくれ
ました。


石神井公園の階段の位置を駅員さんに
訊いて、その車両まで運んでくれまし
た。わたしは感激して何度もありがと
うございます、と言いました。店員さ
んは、


「ここまでしかお手伝いは出来ません。
でも、大変なのはココからですから。
よろしくお願いしますね。ありがとう
ございました」


と言って帰って行きました。でも、わ
たしは、その言葉の意味が理解出来て
いませんでした。もう嬉しくて嬉しく
て、飛び上がらんばかりです。


3年越しの夢が叶ったのですから。


その日、お袋はメガネサロンで顕微鏡
も買っていました。それは妹のクリス
マスプレゼントでした。妹はその時、
小学3年生でした。学校で顕微鏡を使
った観察をしたら、ムラサキツユクサ
の細胞がとても綺麗だったから、とい
う理由だったそうですが、本当は望遠
鏡はメインが夜なので、昼間に使える
モノを探していたんだと思います。


電車の中での興奮状態から目を覚まさ
れたのは、石神井公園駅に着いてから
でした。


いや、重い。電車から降りるのが間に
合うかな?と思うほど、重かった…。


池袋駅では、お店から電車まで、全部
運んでくれたので、重さが全く解らな
いまま、喜んでいた訳です。


しかも、当時の石神井公園駅にはエレ
ベーターはありませんでした。お袋と
2人でいきなり階段を上がって行きま
す。10段を越える頃から、手が千切れ
そうになりましたが、お袋が平気な顔
をしているので、わたしがヘコタレる
訳にも行かず、とにかく階段を上りき
りました。しばらく動けませんでした。


その陸橋をまた歩いて、次は階段の下
りです。踊り場で休みながら、何とか
降りきりました。


とても、家まで2人で持って行ける重
さではなく、お袋が


「タクシーで帰ろう」


と言った時は、オトナになったら絶対
すぐクルマの免許を取ろうと思いまし
た。当時は、家にはクルマがありませ
んでした。親父もお袋も、免許を持っ
ていなかったからです。


お袋は台車がいるなぁ…と思ったそう
ですが、店員さんがテキパキと動いて
くれて、台車を買いに行く時間もなか
ったし、池袋の時点でタクシーを考え
ていた、と知って、オトナってスゲー
と思いました。


そんな訳で、家の下までタクシーで行
って、また、階段を3階まで、持って
上がりました。


まず、わたしが顕微鏡だけ持って家に
一度帰り、もう一度望遠鏡の所に戻り
ました。


泣きたいくらい大変でしたが、家に着
いた時の達成感は、本当にデカくて、
疲れが吹っ飛ぶくらい嬉しかったのを
今でも思い出します。


お袋は文句も言わずに笑っていました。


家に着いて梱包を解き、望遠鏡を出そ
うとしましたが、三脚の組み立てや、
赤道儀のマウントの組み立て等、やる
べきコトが多かったので、その日は、
そのまま仕舞いました。


翌日は、組み立てに取り掛かりました
が、全て組み立て終わって、赤道儀を
北極星に合わせて、後は観るだけの状
態になるまで、1週間かかりました。


曇りや雨等で、数日、待ちぼうけを食
わされたので、その間は何から観るか、
考えていました。もちろん、赤道儀を
合わせるために、一番先に観るのは、
北極星ですが、望遠鏡で観た実感の湧
く天体は何だろう?、と考えるだけで
ワクワクしました。


そして、初めて観察したのは、月でし
た。第一印象は、「ガイコツみたい」
でした。クレーターや海、表面の凹凸
が鮮明に見えて、そのデコボコ具合が
ガイコツのように見えたのです。


天文ガイドを買って来て、惑星の位置
を確認して、土星のリングが見えた時
の感動はヤバかった。


木星の縞模様や、大赤斑も興奮しまし
た。木星の4つの衛星が見えた時には
毎日、どんな位置に動くのか、観察記
録をつけました。


ただ、望遠鏡だけにのめり込んだ訳で
は、ありませんでした。


昼間は顕微鏡の世界に魅せられていま
した。妹に、貸して、と頼むと、ほぼ
貸してくれました。細胞を観やすくす
るため、酢酸オレンジや、ブルーに着
色するのですが、プレパラートを作っ
た後で、


「あたしにも見せて!」


と妹がやって来ます。必ず見せてあげ
て、感想を聞いていました。


ムラサキツユクサや、アロエ、ベンケ
イ草…、たくさん観ました。ある時、


「なんだ、これ?」


と妹が言ったのは、わたしの頰の内側
の粘膜でした。植物と動物では細胞の
組成が違うコトを実感できました。


そして、その頃、顕微鏡で観る世界と
望遠鏡で観る世界とは、何か近い感じ
がして、親父にそう言ってみると、


「ミクロとマクロはきっと似てるんだ
と思うよ。限りないミクロは、限りな
いマクロと相似形なのかも知れないね」


と言われましたが、何を言われている
のか解らず、その言葉の意味がわかる
のに、3か月ほど掛かりました。


子供の頃、この経験をしたおかげで、
大学で経済学を学ぶようになった時、
ミクロ経済学とマクロ経済学の相似部
分はどこだろうか?、とか、ミクロと
マクロを一緒に考えるクセがついてい
て、大学のいろいろな教授に、


「キミは面白い考え方をするなあ」


と言われるようになりました。今、思
えば、親父に言われた一言の意味が、
解らなくって、3か月考え続けたおか
げだったんだなあ…、と思います。


その後、冬の寒〜い夜に、毎晩のよう
に飽きもせずに夜空を眺めていました。


寒い冬の夜空に、オリオン大星雲を見
つけた瞬間、


「スゲー!フェニックスが飛んでる!」


と興奮して叫んだのは、今でもハッキ
リ憶えています。素晴しい形である以
上に、色も正にフェニックスなんです。




家族も代わり番こに見に来ました。そ
して、みんな、口々に、


「本当だ!フェニックスみたいだ!」


と興奮気味に言葉にします。


その後、大人になってからは、免許も
取ってクルマで、彗星や流星群や惑星
の大接近…等々、たくさんの天体ショ
ーを観に行きました。もちろんクルマ
に望遠鏡を積んで、です。


鮮明に記憶しているのは、群馬の榛名
山に百武彗星を観に行った時のコトで
す。通常、彗星を観る時は、遠かった
り、位置の関係で地平線近辺に居たり
で、なかなか綺麗に観るコトは出来ま
せん。それで、まず、望遠鏡をセット
して、百武彗星を探しました。なかな
か見つからず、百武彗星が居るはずの
方角を一所懸命、望遠鏡で覗いている
と、カミさんがわたしの肩を叩きます。


わたしが「なーに?」と振り返ると、


「あれ…」


とほぼ天頂を指差して上を向いていま
す。わたしも、その方向を見ると…


「……」


絶句してしまいました。木々が生い茂
っている間の天頂付近のポッカリ空い
たスペースいっぱいに、彗星が長〜い
尾を引いて、デカデカと横たわってい
るではありませんか!




そのスケールの壮大さに圧倒されまし
た。流星群とか、彗星とか、広い視野
が必要なモノには、双眼鏡が欲しい!
と思った瞬間でした。


人生に影響するプレゼントは、やはり
10万円くらいするモノかも知れません。
そういうモノは、どうしても大切にし
ますし、それだけの情熱がないと、欲
しい!、という気持ちも長続きしない
のかも知れません。


あなたにとって、一番嬉しかったプレ
ゼントは、どんなモノですか?


一番嬉しかった高価なプレゼントに関
係した分野に影響されるとすると、息
子はテニス、ムスメはジャニーズとい
うコトになると思いますが、さてさて、
今後、どうなるのやら…(^o^)。