hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

一枚の写真が意味するモノ~その多様性~

ご来訪いただき、有難うございます!


ブログを読んでくださるあなたに一言
お礼を申し上げます。


ありがとうございます(^o^)v!


せっかく読んでくださるのだから、
少しでも読んで得した気分になって
いただこうと、いろいろ考えて書いて
いました。


今日、以前からの仕事で知り合った
友達と逢っていたのですが、こんな
ことを言われました。


「なんか必死さがイヤだ。おまえは
ものすごく大変な状態だったとしても
いつも平気で笑っている強さがあって
それが安心感の源だったのに、何だか
研ぎ澄ましたような文章を、狙ってる
ような気がする。もっとアバウトさが
おまえらしさなのに…」


その後もいろいろ話していると、結局
ゆっくり、のんびり見えていて、実は
寝る間も惜しんで頑張っているような
ヤツだったというコトのようでした。


ゆっくり、のんびり。


そう見えていたなんて意外だと思って
何人かの友達に訊いてみました。


みんな、世代によって同じようなコト
を言います。微妙に違うんですけど、
概ね似た感覚にも聞こえること。


みんなと居る時は、慌てないでいる。
1人の時には出来ることを全力で
やっている。
そして、誰から見ても頼れる存在の
まま、いつも笑っている。


これが仕事関係で知り合った人の
わたし評です。


ところが小学校からの友達は違います。


怒らせたらコワい奴。機嫌がいい時は
ラッキーだと思う。仕事が速いヤツ。
運動神経抜群で頭がイイ。


同じ人間の評価とは思えないでしょう?(笑)


もしやと思って、中学校の友達、高校
の友達、大学の友達…と世代別に訊い
てみました。


中学の友達は、野球部、生徒会で活躍
してて、モテて頭も良くて歌の上手い
欠点のないヤツ。強いて言えば女の子
に冷たいヤツ(男子に比べて)。


高校の友達は、野球部でいつもバット
を振ってた劣等生。国語だけは天才的
に出来るのに、数学と英語は嘘のよう
にできなかったヤツ。いつも坊主頭。


大学の友達は、学園祭ではいつも目立
ってた。証券研究会幹事長。なんか
難しい議論も負けないけど面白い企画
を立てる時も中心にいたヤツ。いつも
別の大学の彼女を学内に連れて来て
(後の嫁さんです)クルマで通学して
たヤツ。


人は出逢ったタイミングによって、
相手に与える印象は全く違っているんだという事実…。


当たり前のコトかも知れません。


でも、自分のコトとなると付き合いが
長いもんだから、同じ人格がズーッと
続いているような錯覚を持ってしまい
ます。


わたしは、出逢った相手の数だけ居る
という事実。


わたしと出逢ってくれた人の感じた数
だけわたしの存在はある訳です。


わたしが自分はこういう人間だと思う
人格は、出逢った人が誰でもそういう
人間と付き合っているとは受け止めて
もらえていないコトも多々あるのでし
ょう。


そう考えると、アイデンティティーは
相手も共有しているわたしの人格を
意味するものではない、というコトに
なります。


自己満足を作るだけ?


哲学って何?


そんな気分になっていた時、1枚の
写真が出て来ました。


1シーズン通算で4割3分8厘の打率
を誇った年の写真です。その写真を
見ていると、次に来る球のコトしか
頭にないのが伝わって来ます。


一方シーズン通算2割9分4厘だった
年のバッターボックスの写真は、雑念
を持って打席に入っているのが伝わっ
て来ます。


好きな女子が居て、その子の1番に
なることが1番大切なコトだった年。


写真を見ただけで本人は思い出します
が、友達は打てなかった年の写真の方
がいいと言います。


そのくらい、いい加減です。


でもこれは打つことにセグメントして
写真を見ているから、わたしは、そう
思う訳です。格好を気にしている年の
方が一般受けはいいのだとしたら、
目的は達成していることになります。


つまり、重要度はタイミングで変わっ
ているんだと思います。


それを後で、何かの意志を持って違う
メガネをかけて見直すと、違う歴史に
なっているんだと思います。


写真や映像を残しておく大切さは、
その時点での気持ちを思い出すための
道具であること、ではないかと思いま
す。


外から見える情報と、当事者だから
わかる内面の情報が、1枚の写真には
盛り込まれているような気がします。


1枚の写真から受け取る情報は、見る
側のタイミングによっても、受け取れ
る内容が変わって来るモノなのかも
知れません。


インスタの写真は、ある意味、とても
恐いものかもしれませんよ(^o^)。