hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

「ベストを尽くすコト」の真の意味

ご来訪いただき、有難うございます!


朝の仕訳仕事を始めてすぐ、荷物がピ
ークを迎えました。ものすごい量です。


徐々に慣らして行けばいいから…。


リーダーがそう言っていた舌の根も乾
かぬうちにフル稼働を余儀なくするコ
トになりました。


きっと、仕事というモノはそういうモ
ノなんだろうとあらかじめ予想してい
たので、特に苦しむコトもなくフル稼
働に照準を合わせて、何とか乗り切っ
ています。人を増やす、というコトは
その人がフル稼働してやっと何とかな
る量の仕事が増えるから新規に雇う訳
で、徐々に慣らせばいい仕事なんてモ
ノは存在しないんだと思います。


おかげさまで4時起きが習慣になって
みると、朝の仕訳のない日は、とても
ゆっくり出来るようになりました。


お正月も全く休みが無いコトが決定し
ました。元日の朝も早朝仕訳です。元
日から今年は透析もありますし、2日
の日曜から今年は横乗りも頼まれてい
るので、全くいつも通りの正月を過ご
すコトになります。


まあ、元気に働けるので良しとしまし
ょう(^o^)v。


いきなりベストを尽くすコトになって
ふと、思い出したコトがあります。


息子の硬式テニスとの取り組み方につ
いて、です。


幼稚園の頃から、息子は近所のテニス
スクールに通っていました。『テニス
の王子様』というアニメにハマって、


「テニスをやってみたい!」


と言い出しました。近所のテニススク
ールの看板に、


「小学生~」


と書いてあったので、


「コーチに見てもらって、合格をもら
えたら通わせてあげるよ」


と言いました。息子はカミさんと二人
でスクールの門を叩いて、


「キミなら充分スクールで活躍できる
よ!」


とコーチから太鼓判をもらって来てし
まい、通わせるコトになりました。


カミさんとわたしの作戦は、小学生~
だから、幼稚園生のキミはもう少し大
きくなってから来てね、とテストして
もらえずに門前払いを食うと思ってい
た訳です。ところが息子は、


「幼稚園の年長ですが、コーチからO
Kをもらえたらスクールに通ってもい
いとチチに言われたので、テストして
ください!」


とテストするコトが前提の門の叩き方
をしたので、コーチもまず見てくれた
んだそうです。


かくしてテニススクールに通い始めま
したが、まあ、ほんの球遊びでした。


小学3年生になった春までは、本当に
スクールに通っているだけで、ぽっち
ゃりおデブな男の子でした。


ところがコーチから、


「Kくんもそろそろ試合に出てみませ
んか?もちろんジュニア登録もまだし
ていないので、草トーナメントにしか
出られませんが…。このスクールで主
催するトーナメントがあるので、いか
がでしょう?」


と言われて、本人もその気になって帰
って来て、「出る!」と言うので、申
し込んでみました。


ビギナーズ・ラックと言う言葉があり
ますが、まさにそういう試合が続き、
3年生で最年少の出場選手だったにも
関わらず、2勝もしてしまいました。


そのうちの5年生との試合は、相手は
息子より全然上手だと思う選手でした
が、サーブで力んでネットに掛けてし
まったり、息子の球があまりにも弱い
ので、打ち込んでネットに掛けたりと
自滅してくれた1勝でした。次の6年
生との試合は、何とか粘って返してい
るうちに、息子の球が弱過ぎて、やは
りネットに掛けてしまい、ラッキーな
2勝を拾ってしまいました。


それから1か月ほどして、息子は、


「僕、プロのテニスプレイヤーになり
たい!」


と真面目な顔で言って来ました。冗談
だと思っていましたが、


「プロのテニスプレイヤーになるには
まず、ジュニアで実績を作ってポイン
トを稼がないとスタートが切れないら
しい…」


と言い出しました。そして、少し遠く
にある「ジュニア育成クラス」のある
スクールに通う必要がある、と言い出
しました。


そこもカミさんとテストを受けて来て
合格したから、そのテニススクールに
通わせてくれ、と言い出しました。


とりあえず、スクールは変えましたが
わたしはまだ本気で言っている訳では
ないと思っていました。ところが、3
年生の夏休みに、本気でプロになりた
いなら、そんなにぷよぷよした体型じ
ゃ話にならないよ、まずは基礎体力を
しっかりつけないとね、と言ったら、


「まず、足が速くないとボールに追い
付けないから、足を速くしたい。毎朝
ダッシュに付き合ってくれませんか?」


と言い出して、その夏休みの間中、本
当に毎朝大きな公園の広場に行って、
1時間半ほど、短距離の走り方を教え
るコトになりました。雨の日にもカッ
パを着て走っている姿に、


「無理しないで。休んでもいいんだよ」


と言いましたが、息子は、


「時間が足りない。僕は少しでも早く
結果を出せるようになりたい。回りは
もっと早くから選手になるための練習
を始めてたんだ。僕はスタートが遅い
から、早く上手になりたい!」


と言い出しました。実はその3年生の
時の体重のまま、5年生になりました。
身長は15センチも伸びていました。


とてもスラッとした別人のような体型
の男の子になりました。


その頃にはジュニア登録もして、トー
ナメントもベスト4くらいまでは行け
るようになっていました。でも、なか
なか優勝出来ない選手でした。


息子には、いざと言う時に自信が無い
ように思えました。実は、その頃まで
幼稚園の頃からズーッと、休みの日に
家族で公営のテニスコートを取って、
テニスをして遊んでいたのですが、わ
たしは1度も息子に負けたコトはあり
ませんでした。公式の大会に出るよう
になってからも、息子はいざと言う時
に、こちらが粘ると自滅してしまいま
す。


今、息子に必要なのは自信を付けるコ
トだと思った日に、少しだけ手を抜い
て、わざと負けてみました。息子は鬼
の首を取ったように喜び、ものすごく
自信をつけたようでした。


実はその日から、いくら本気でやって
も、1回も勝てなくなりました。その
日以降、息子の全勝です。わたしは、
その日以来、全敗しています。


思春期に自信を付けるコトって、本当
に大きなコトなんだなあ…と思います。


その頃から、息子はトーナメントで優
勝するようになり始めました。いつで
も決勝戦には顔を出す常連の一人にな
って行きました。


わたしは、息子の試合を見て、全力で
戦った試合は、勝っても負けても褒め
ましたが、少しでも手を抜いた試合は
徹底的に叱りました。


もちろん、ほとんどの試合で手を抜く
シーンを見つけてしまうので、叱って
ばかりいた記憶しかありません。たま
に素晴しい試合をするのですが、どう
しても常に「ベストを尽くし続ける」
コトは、なかなか難しかったようです。


そして、中学生最後の東京都の個人戦
の決勝のコートに立っていました。相
手は育成クラスに行くようになってか
ら、いつもその子のテニスクラブと合
同練習をしていたライバルでした。


グレードはG3A。大きな大会です。


この試合に勝った選手が、東京都の1
番強い選手です。決勝戦だけ2セット
を先取した選手の勝ちとなります。


この日、息子は4試合目でした。その
前の3試合は、全部ベストを尽くせば
6-0で勝てた試合ばかりでしたが、
実際には6-3、6-4、6-2と無
駄に相手にゲームを取らせている試合
が続いていました。やらなくていいゲ
ームを9ゲームも失っていたのです。


相手の選手は6-0、6-0、6-2。


わたしはいつものように試合が終わる
たびに叱っていました。息子は


「勝ったんだから、いいじゃん」


と言っていました。


決勝戦も第1セットは5-1とリード
していました。そして、このゲームを
取れば、1セットは勝てるというとこ
ろで、息子の右足が攣りました。


そこからは地獄のような展開が待って
いました。


結果から言うと、第1セット5-7。
第2セットは0-6で敗戦でした。


右足が攣った時点で棄権すると思って
いました。なのに、息子は最後まで右
足を引きずってコートの上を走ってい
ました。


試合が終わって帰って来るなり、本人
も悔しかったでしょうが、泣きもせず
に、わたしに深々と頭を下げて、


「今日はみっともない試合を見せて申
し訳ありませんでした。チチがいつも
僕に言ってくれた『どんな時でもベス
トを尽くせ!』っていう意味がやっと
解りました。それをカラダで覚え込む
ために途中棄権はしないで最後まで戦
って来ました。ベストを尽くすのが、
自分のカラダにとって、1番優しい選
択をしているコトになるんだって言う
コトが身に染みて解った。もし、それ
までの3試合で9ゲームを余計に戦っ
ていなければ、決勝戦も足は保ったか
も知れない。勝てばいいんじゃない。
どう勝つのかが問題なんだって解った。
常にベストを尽くさなければ、連戦に
勝つコトは出来ないんだって教えてく
れてたのが、最後の試合で解った。僕
は高校でもテニスをする。そして常に
ベストを尽くす試合をする!」


そう言って、息子は高校2年の時に、
都立高のチャンピオンになりました。


高校生になってから、わたしは息子を
テニスに関して叱ったコトは1度もあ
りません。まあ、強いて言うなら


「おまえ、ちょっとガット切り過ぎじ
ゃない?」


と言うだけでした。新しいガットを張
っても2日と保たないんですから…。
本当にカネ食い虫でしたが、有名なコ
ーチから、


「ガットを切って来ても絶対に叱らな
いでください。どこを切ったかで、ス
イートスポットなら、むしろ褒めてあ
げてください」


と言われていましたし…。


高校では、本当にいい選手でした。私
立高からもたくさんお誘いをいただい
ていましたが、都立高でわたしの後輩
になりました。高校2年の冬に、背骨
が折れているのが解り、プロは断念し
ましたが、今でもどこに行ってもコー
チをやってくれないかと、お誘いをい
ただく程度には有名です。


今、息子の同年代で活躍している選手
達は、ほぼほぼみんな、ジュニア時代
に勝ったり負けたりしていた選手達で
す。大学選手権の優勝者やプロになっ
た選手達も、息子の友達です。


ベストを尽くす。誰かのためにじゃな
い。自分のためにベストを尽くすんだ
よ。そう教えてあげられる優しさが無
かったコトを痛切に反省する日々です。


そして、息子に教えながら、自分自身
にいつも跳ね返って来たモノ…。


子育てとは、未来を作るコト。


中3のあの負けた試合の後で息子がわ
たしに言って来たコトは、わたしが教
えていたコトを超えていました。子供
が掴むコトって、オトナの思いを軽く
越えて来ます。


青は藍より出でて藍より青し。


そう思うと、つまらないコトは出来な
いなあ…と強く思う今日この頃です。