hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

コロナがみんなに与えたモノ~どこでもドア~

ご来訪いただき、有難うございます!


やっとわかって来ました。コロナ禍が
わたし達に与えてくれたモノ…。


コロナはわたし達にどこでもドアって
こうやったら実現できるんだよ、そう
教えてくれているんだって…。


まだ、同じ時代間でしか使えないモノ
だけど、時間軸の研究が進めばいずれ
本当のどこでもドアが出来るかも知れ
ない。そういう可能性が見えて来たと
思うんです。


わたし達は、みんなで集まって何かを
決める、という時に、いつどこに集ま
るか?を考えていました。ところが今
コロナ禍以降、ズームを使ってどこに
いても、それぞれが移動を伴わなくて
も一緒に過ごすコトが出来るようにな
って来ました。


会議をする時にも、それこそ自宅に居
ながらにして、重要な会議を開いたり、
テレビではMXの『5時に夢中』の中で
コ―ヘンがイスラエルに帰らなくては
ならなくても、イスラエルからリモー
トでテレビ出演するコトになったり…。


どこに居ても相手の国との時差や状況
をあらかじめ考えておくコトで、距離
の問題は解決してしまった訳です。


以前から中継という概念で、遠隔地と
の放送での繋ぎ方は存在していました
が、通信と放送との垣根を越えるコト
でどこでもドアが実現し始めたと思う
のです。


このパラダイムシフトを起こすために
コロナのような人間の命に直結する重
大な出来事が必要だったと思うのです。


現在は大学の授業もリモートで出来る
ようになっていますが、わたし達が学
生の時代にはそんな考えは及びもつか
ない出来事だったと思います。


企業との面接もリモートが当たり前の
世の中になっていますが、相手とのア
ポの時間を守るコトが社会人としての
最初の一歩だと習って来ました。


コロナ禍の中で当たり前になって来た
コトが、以前はきちんとした人ほど、
うるさく言っていたコトのような気が
します。そして、実は相手と繋がりた
い、という思いさえあればそれが実現
できる時代になって来たんだと思うん
です。


わたしは慢性腎不全で週に3回の透析
が必要になった時、絶望して死のうか
と思いました。まるで回遊魚のように
止まったら死んでしまうような生活を
送り続けて来て、使い物にならなくな
った人間なんて要らない、と本気で思
ったコトもあります。


ところが、透析をはじめて5年目に入
った今、人間にとって休息は本当に大
切だ、というコトが身に染みてわかっ
て来ました。


聖書の創世記の冒頭で「光あれ」と言
った神が6日間大地や生物や人間を作
って、7日目には休息を取った、とい
う記述の意味をしみじみ感じるコトが
できるくらいには成長したと思います。


その上、今では、素敵な看護師さんや
臨床工学技士さんもたくさん居る透析
自体を楽しめるようになるなんて5年
前には想像するコトも出来ませんでし
た。


実は昔、今は超有名なIT起業家から、
通信と放送はどうやったら垣根を越え
られるか?という命題を投げかけられ
たコトがあります。通信は個対個なの
で倫理規定は必要ありませんが、放送
はブロードキャストなので、放送コー
ドや大衆を煽動しないような倫理規定
が必要になりますし、何より関係省庁
が当時は別々で、この2つを同じ土俵
で論じるコトは難しいと答えました。


でも、彼らはその後も諦めずにこの命
題に取り組み続けていたんだと思いま
す。こういう大変な時代に、あの時に
投げかけられた問題が日の目を見てい
るコトに驚きを感じます。


そして、人間のたくましさを同時に感
じるのです。どんなコトでも、人間が
より良く生きて行くためのステップに
して行く取り組みに素晴しさを感じま
す。


つくづく思いますが、人間にとって、
どんな経験も無駄なコトって無いんだ
なあ…。人のたくましさは素晴しい!
と思います。