hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

「強調」から「協調」ヘ!

ご来訪いただき、有難うございます!


暑いですねー(^_^;)


でも、大気は不安定だとのことで

急な雷雨にはお気を付けくださいね。


昨日のように震度7の大地震が

誤報でなく来ないとは限らないので。


備えあれば憂いなし。




自分の思いを伝える時、意識せずに

「強調」してしまっていることって

ないですか?


そういう伝え方をすると或る人には

とてもイヤな感じで伝わる可能性が

あるって、その時は考えていなくて

あとで気が付いて冷や汗モン、てな

具合になることもあります。


例えば、今回の東京都知事選では、

リアルタイムでの応酬の中で、

とても人間力の試されるシーンが

たくさんありました。


石原元都知事が言った

「ウソつき厚化粧おばさん」発言。


橋下徹さんがツイッターで語ったこと。

「増田さんは最大のチャンスを逃した。

石原さんが厚化粧暴言を吐いた場所に

居たのだから、その場でその発言を

撤回させ、謝罪させれば人気は急上昇

しただろうに…」


まさにその通りだと思います。

認知度を上げる上でも、それ以上の

シチュエーションはなかったでしょう。


それなのに、終始ニコニコして

聞いてた上に、自分も日焼け止めを

塗って選挙戦を闘っていたので、

それを言ったのだと思った、という

ひどい言い訳をしてしまい、小池さんに

圧倒的に離される結果となりました。


また、息子の石原伸晃さんも、

党員は増田さんに入れなければ

除名処分だという党員へのFAX文書が

流出していましたが、それまでは

詳しい話は聞こえて来なかったのに、

開票速報の席で平沢さんが

「あの文書は誰が送ったのかわからない」

という発言をして、自民党は都連の

執行部上位3名の連名で出された文書が、

送り主不詳では、党全体が組織としての

体をなしていないと言われても仕方のない

とんでもないマイナス・イメージを受ける

ハメになっています。


そういう時に、

「ネガティブ・キャンペーン」

の時代ではないんだなあ、

と強く感じます。


何かを強く言ったつもりなのに

自分にとって致命的な結果を

もたらしてしまったり、

責任を回避したつもりで言い訳をしたら

その組織全体に波及してしまい、

本末転倒の結果がやって来たり、

何かを「強調」し過ぎると、

予想外の結果がやってくることが多い、

と思います。


そこで必要な考え方が「協調」だと思います。


自分の伝えるべきことは伝える

けれども、相手に対するリスペクトは、

人間としてしっかり持っているコトを

伝えるべきだと思うのです。


政策は違っても、東京をよくしたいという

気持ちは同じである、という前提が必要だ

と思うのです。




わたしはスポーツが好きです。

スポーツは、その競技を始めた時から

そのスポーツのルールで戦っているコトが

わかるものだからです。


だから今回のロシアの国家ぐるみの

ドーピング問題は、本当だとしたら

許しがたいことだと思いますが、

その経緯もちゃんと見守るべきだと

考えています。


例えば、女子テニスのシャラポワの

件等は再考の余地があると思います。


アメリカを本拠地にしていますが、

ロシアのイメージが強く、1番有名な

スポーツマンはシャラポワだと思います。


ドーピング剤と認定してから検査までの

期日の短さや、その薬剤がドーピングと

言えるほどの体への変化を与えるもので

あるのか?という説明をしっかりせずに

この薬物はいついつから禁止薬物に

決まったから、今回違反である、という

やり方は、オリンピックでロシアを

出場させないためのイメージ戦略としての

布石だったのか?という疑問が出て来る

からです。


みんな、スポーツマンである前に

人間です。


病気をするなと言ったって、具合が

悪くなることもあるでしょう。

そういう時に、選手である限り

禁止薬物は使わない、という心がけは

立派ですが、それで命に危険が及ぶなら

治療目的でどのように使ったという報告を

させて、認めたっていいと思うのです。


筋肉増強剤で、見るからに人間として

不自然な体はどうか?と思いますが、

冷凍血液を自分に戻して赤血球が

増えるからドーピング、というのも

違う気がするんです。


していい範囲、したらダメな薬物

というルールこそが必要だと思う

んです。


まずは相手に敬意を払うことで

スポーツは成り立ちます。

名勝負と言われる闘いも相手が

居るから生まれるんです。


そのものを強調し過ぎて脱線する

くらいなら、協調して気持ちよく

闘うくらいの豊かさは必要だと

思っています。


「強調」より「協調」ヘ!


あなたはどう思いますか?