hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

恋とか、愛とか、幸せとか。

ご来訪いただき、有難うございます!


恋は「下心」。


愛は「心を中心で受ける」モノ。


性は「心を立てて生きる」コト。


中学時代、読んだ本にそう書いてあり
ました。


うまいコトを言うなあ…と思った記憶
があります。


高校時代、恋は下に心があるので「下
心」というのは、実感を持って理解し
ました。相手を思いやるコトよりは、
自分の気持ちが中心だったような気が
します。


大学時代、愛する人と出逢い、自分の
中心で相手の心を受けるモノ、と納得
し、やはり、理解できたと思っていま
した。


大学時代、性とは或るモノを立てて
お互いの体と心をつなぐモノだと思い、
やはり、わかったような気持ちになっ
ていました。


たぶん、大学を卒業するまで、「恋」
しか理解できていたモノは無かったん
だと思います。


例えば、相手に愛して欲しい、と思う
のは「恋」だと知ったのは、社会人に
なって、恋人時代のカミさんのお父さ
んが病気で、群馬と東京を新幹線通勤
で朝早くから夕方まで仕事をして、夕
方の或る新幹線に乗らないと、電車の
連絡が悪くなってしまうので、早く帰
らなければならないカミさんに頻繁に
連絡を取るコトではなく、カミさんか
ら、「声が聴きたくなった」という電
話が来る時には、彼女が切るまで一緒
に時間を過ごせるようにしておくコト
だ、と知った時でした。もっと逢いた
いし、もっと気持ちを伝えたいけれど
今は、お父さんを最優先に考えるコト
が、将来、カミさんが後悔せずに生き
て行くためには、とても大事な時間だ
というコトに気がついて、自分のコト
より、彼女の時間を優先した時に、愛
って自分が中心ではなくなるコトだと
すると、昔、読んだ「愛」とは違うん
だなあ…と思いました。


ところが、その頃、お父さんの調子が
悪くない週末などに、その朝の状態で
今日は逢えそうだ、と言うと、彼女が
逢いに出て来てくれます。当初、俺が
行くよ、と言っていましたが、どこに
行っても人の目を気にしないといけな
いらしく、こっちに出て来る方が気が
ラクなんだ、というコトがわかり、こ
ちらで待つようになりました。


或る日、久しぶりに逢えて二人の気持
ちが高まり、抱き合いたいと思ってい
たら、彼女が申し訳なさそうに、


「…来ちゃった…」


と言った時、彼女がとても残念そうな
顔をしたので、わたしの気持ちを正直
に伝えました。


「傷付けちゃうとイケないから、つな
がるだけで動かないっていうのはどう
だろう?ふたりでいろいろとお話しよ
うよ」


話をしていたのは30分くらいでしょう
か?次回からは、厚めのバスタオルを
敷くようになりました(^o^)。


ふたりとも、自分を大切にしながら、
相手の思いも叶えたいと思ったからこ
そ、その後、いつでもつながりたい時
にはつながれるようになりました。


その時、「愛」は、お互いの心を中心
に受け取るコトなんだ、と理解しまし
た。カラダ中心ではなく、心を真ん中
にお互いの気持ちを受け取り合うコト
で、愛するコトが幸せなんだ、と知り
ました。愛されるコトも幸せですが、
愛されるには、相手の気持ちが必要で
すよね?愛されなくても、自分が愛し
たいと思う気持ちを幸せだ、と思えた
ら、いいなあ…と思いました。


ふたりの気持ちが寄り添っているから
そう思えるんだと言う人もいると思い
ます。


今まで毎日、本当に毎日、当たり前の
ように逢えたのに、デートできるのは
1か月に1回くらいになってしまった
のに、相手が後悔しないように自分を
抑えてるうちは、わかりませんでした。


恋人のお父さんと思っていた時は、わ
かりませんでした。


久しぶりに東京に泊まるコトになって
いた日、彼女の電話が鳴って、


「お父さんが危篤だ」


という連絡が入った時、夜中で電車も
終わっている時間だったのですが、


「すぐに行こう」


とクルマを飛ばしました。その時、彼
女のお父さんという意識ではなく、


「お父さん、何とか頑張って欲しい。
彼女が着くまで待っていてください!」


と本気で思っていました。彼女の不安
が溶け出しているような空気の中で、


「俺も祈るから、お父さんに届くよう
に祈るんだ。待ってて、って…」


と言いました。間に合って、ご家族か
らも、彼女からも感謝されましたが、
1番嬉しかったのは、その病室で彼女
のお兄さんが、


「ほら、J子と840君が駆けつけてく
れたよ」


とベッドサイドに連れて行ってくれ
た時でした。家族になれたような気
がしました。わたしの中で、お義父
さんから、お父さんに変わった瞬間
で、愛するコトや家族というモノを
感じる上で、相手から疎まれようと
自分が愛したいモノを愛し続けよう
と思った瞬間でした。


幸せとは、そういう状態のコトだと
思います。例えば、幸せになりたい
という使い方は、少しおかしいなあ
…と思っています。


幸せ、というモノが「在る」モノな
ら、そんな使い方も有りだろうと思
いますが、幸せって、感じるモノだ
と思うんです。だから、幸せを感じ
る時に、「幸せだなあ…」という感
想を言うための言葉で、幸せになり
たい!という意志表明は、今、自分
は幸せではない!と言っているのと
同じだ、と思うんです。


だから、幸せを感じた時に幸せだな
あ…と呟くと、相手も幸せを感じる
みたいで、「私も」と言われるコト
が多いと思います。これって、こっ
ちが幸せなのを聞いて、相手も安心
して幸せな気分になるっていうコト
だと思います。


性、の偏は「立ち心」または「立心
偏(りっしんべん)」です。心が立
って生きる、というのは、奥の深い
言葉だなあ…と思います。


心は寝かせておくと、穏やかですが
鈍くなって行きます。敏感で感じや
すいように常にアンテナのように立
てておくと、感度が良くなるのかも
知れません。あれ?あははは(^o^)v