hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

自分の気持ちがわからなくなったら・・・

ご来訪いただき、有難うございます!


もし、自分の気持ちがよく見えなくな
ったら、シンプルに自分自身に問い直
してみればいい、と思います。


「顔が見たいか?」
「声が聴きたいか?」
「一緒に居たいか?」


等々…、相手のある問いなら上記3つ
を問えばいい。


恋愛でも仕事でも、人に関する悩みな
ら、上記3つで足ります。それだけで
いいんです。


わたしが証券マンだった頃、後輩用に
「営業という名のナンパ」という指導
書を書いたコトがあります。営業とい
う仕事の手順を細分化してみると、


①相手に好印象を与える身だしなみ
②相手に自分の存在を認識してもらう
③相手とこまめに連絡を取る
④自分からアポを取る
⑤逢いたい、と言われたらすぐ行く
⑥逢う時には事前に話題を用意する
⑦自然と逢う頻度が上がる
⑧付き合う(契約する)


ね(^o^)v。やってるコトって仕事で
もナンパでも実はあまり変わらないん
だよ、という内容の冊子でした。大変
好評だったらしく増刷されて或る後輩
の男子から、


「僕は営業に行くのは気が重かったの
ですが、先輩の書いてくれた冊子を読
んで、どうやったらお客さんの気が惹
けるのかに興味が湧き、相手の立場に
立つ、という言葉の意味に気付きまし
た。そうしたら、自然と恋人も出来て
毎日、幸せを感じられるようになりま
した。ありがとうございます」


という手紙をもらってとても嬉しく感
じたコトを思い出します。


相手に企画書を提出する場合だって同
じです。自分が相手だったらどう感じ
るだろう?という感覚を持っている人
が勝ち残ります。協調性、あるいは、
同調性を持てる人が勝ちます。つまり
恋愛をたくさんした人の方が、ビジネ
スの場でも強い訳です。



自分に対する問いの場合は、自分にウ
ソをつかないコトが大切だと思います。


ウソをつきながらいくら考えても、自
分のコトですから、一番最初にウソだ
と気付いてしまいます。それを繰り返
すと、自分が嫌いになってしまうので
自分の気持ちに正直に答えるクセを付
けましょう。


素直で、感謝して、与えて、返事して、
自分を大切にする生き方をしていれば
いろいろなコトに気付かせてもらえる
ようになります。


いや、自分が気付くようになるんだと
思いますが、それを相手が与えてくれ
ているような感じに受け取るので相手
への感謝も自然に湧き出て来ます。


わたしがそう思えるようになったのは、
大厄が過ぎた頃からでした。


でも、気付くコトが出来て良かった…。


最初の頃は、「もっと早く気付ければ
よかったのに…」と本気で思っていま
したが、それが違うんです。


いろいろなコトを経験して、そこまで
かかって、やっとわかった訳です。


気付いた時点で、素直に喜ぶコトから
始めましょう。


ステキな人生が始まります(^O^)v。

はないちもんめ

ご来訪いただき、有難うございます!


モノのとらえ方・考え方で、同じコト
をしていても、まったく違うモノに変
わったりします。


『凪のお暇』を観ていて、想い出した
コトがあります。


小さい頃、「はないちもんめ」が好き
でした。男の子も女の子も一緒に遊べ
るし、そのメンバーの中で何番目くら
いに欲しいって言われるか、ちょっと
ドキドキしながらやっていました。


小学校に行くようになって、近所のガ
キ大将のカズちゃん(2つ上の3年生
の男の子でした)の学年の子達と「は
ないちもんめ」をやった時は、なかな
か名前を言ってもらえなくて、カズち
ゃんに、


「3年生達とやると、なかなか欲しい
って言ってもらえないね」


と言ったら、カズちゃんは笑いながら


「ヒトシはそんなコト考えてるのか。
俺なんかだいたいカズちゃんチームの
リーダーだから最後まで残るコトが多
いだろう?自分のチームに誰が欲しい
かは考えるけど、相手チームに名前を
呼ばれたいってのはあんまり考えたコ
トないなあ…。おまえもヒトシチーム
を作るようになるだろうから、自分が
欲しいヤツを見つけておいた方がいい
ぞ」


と言うと、相手チームに


「おい。この1年生、ヒトシって言う
んだ。名前知ってた?」


と声をかけてくれました。間もなく名
前を呼んでもらって、


「ヒトシくんが欲しい」


と言われて嬉しくなってしまいました。
ヒトシと言うのはわたしです。hittyは
ヒトシから付けたハンドルネームです。
この時、カズちゃんから2つ教わりま
した。


1、「はないちもんめ」で相手チーム
に選ばれるかどうかは相手次第なので
自分がリーダーになったつもりで自分
が欲しい相手を考えておく。


2、仲のいい相手とではない場合は、
自分の名前を相手に伝えておく。


小学1年生のわたしは、はないちもん
めをして遊ぶ友達は仲良しの友達だけ
でしたから、知らない相手とのはない
ちもんめでは相手に名前を知らせてお
くコトが必要だというコトに気付いて
いませんでした。幼稚園に行かなかっ
たわたしにとって、初めての集団生活
が小学校でした。


それに、自分の人気がどれくらいある
のかを知る遊びだと思っていたのに、
実は自分のチームだと思ってどんなチ
ームにしたいのかを選ぶ遊びだという
視点の変更は、考え方の広がりを意識
するコトになりました。


当時のガキ大将って、社会を教えてく
れる存在でした。そして、面倒見のい
いガキ大将が居る地域の子供達は通常
とても仲良しでした。カズちゃんの妹
のメグちゃんが、わたしの同級生でし
た。その子とも遊びましたが、カズち
ゃんと近所の子達と遊ぶコトの方が多
かったんです。野球やドッジボール等
のスポーツは男同士の方が楽しかった
からです。


実はこの考え方を教えてもらってから
いろいろ考えました。そしてとても気
が楽になりました。選ばれなくてもい
いや、と思えるようになったからです。


それにカズちゃんは、ちょっと不思議
なコトを言いました。


「好きな子が出来たら、その子とは別
のチームになって、その子が欲しいっ
て言えばいいんだよ。告白しなくても
気になってるコトは伝えられるだろう
?」


今までは自分が選ばれたいと思ってい
た遊びで、今度は自分が選びたい相手
を決める遊びに変わる・・・。


たぶん、わたしがその後、大人になっ
てからもリーダーのイメージはきっと
カズちゃんだったと思います。


そのあとも、15分休みとかに「はない
ちもんめ」でカズちゃんが誘ってくれ
る時には「おーい、ヒトシ~!はない
ちもんめやるぞ~!」と大きな声で名
前を呼んでくれるようになりました。
3年生の彼の友達にわたしの名前を知
らせるために、すごく大きい声で呼ば
れる訳です。優しいなあ…と思いまし
た。


野球をする時にも、カズちゃんに負け
ないようにうまくなってやる!と思っ
ていました。近所で野球をする時に、
カズちゃんチームと当時4年生だった
Ⅰくんチームに分かれて試合をする時
に、「取り取り」という、ジャンケン
で勝った者が好きな人から順番に指名
して行くチームの作り方をしていまし
た。


わたしは負けず嫌いで、1年生のクセ
に、わたしよりヘタなのに先に指名さ
れる2年生とかが居ると、家に帰って
から悔しくて泣くようなタイプでした。


おけげさまで2年生の時には、カズち
ゃんが取り取りで1番最初に勝った後
には「オレはヒトシ!」と指名される
ようになりました。野球で他の誰にも
負ける自分は許せなかった。1番年上
のⅠくんよりカズちゃんの方が上手か
ったので、自分よりうまい選手はカズ
ちゃん以外は認めない、と思っていま
した。


だから、野球が上手くなったのはキャ
ッチボールに付き合ってくれた親父と
わたしの目標のカズちゃんのおかげで
した。


学校では同じ学年では1番打っていま
したし、6年生の時、友達と野球をし
て遊んでいたら、リトルリーグの監督
からスカウトされるようになったのも
カズちゃんのおかげだと思います。


カズちゃんはスポーツ万能で、面白く
て、明るい男の子でした。彼が6年生
の時に引っ越して行ったんですけど、
わたしが4年生だったので、


「ガキ大将はヒトシに任せた。他の地
域の悪ガキから、この近所の子供達を
守るのはヒトシの仕事だからな。大変
だけど、自分のコトばっかり考えてる
ようなガキ大将にはなるなよ!」


という申し送りをされた時、責任感と
共にとても誇らしく感じたコトを思い
出します。


わたしが高校生の時、ガキ大将を申し
送る相手が居ないと相談して来たガキ
大将が居て、わたしの後の3代目でガ
キ大将は居なくなったと思いますが、
その頃から、公園でバットを振るな!
という看板を当たり前のように見かけ
るようになったのを憶えています。


つまり、スポーツをそれなりに頑張ろ
うと思ったら、どこかに習いに行かな
いと、やれる環境がなくなった頃だっ
たと思います。


昔と今では環境が違うので、思い出の
方向が違っていますが、はないちもん
めという遊びのおかげで、考え方や見
方を変えると、同じ遊びでも別モノに
変わるというコトを小学1年生の時に
教えてもらえてラッキーだったなあ…
と、最近特に思います。

自分に出来るコトをやるだけでいい!

ご来訪いただき、有難うございます!


今回は少し長いので、というかとても
長いので、ちょっと暇がある時に一気
に読んでもらえると嬉しいです。


あっ、今回のコトはとても詳しくブロ
グに書きたいって言ったら、イニシャ
ル・トークならいいよ、と相手が言っ
てくれたのでお伝え出来るコトになり
ました。


では、始めます。



今は本当に素敵な女性が増えました。


女性は歳を取らなくなりましたよね?


約40年前に憧れていた1年先輩の女性
ととても似ている面影に声をかけると
やはりその女性でした。その女性に


「Hさん?俺、Yです」


と声をかけました。彼女は驚いたよう
な顔をして、


「Yくんて野球部の?久しぶりだね。
何年ぶりだろう?…。40年とちょっと
ぶりだよね?よくわかったね。さすが
に苗字はHではなくなってるけど…」


と言いながら笑顔を向けてくれました。
この笑顔。わたしが憧れた笑顔です。
回りをパッと明るくしてしまうこの笑
顔は、学年は違っていても輝いて見え
ていました。彼女の横には5歳くらい
の男の子が手をつないで居ました。


「・・・息子さんですか?とても若い
けど・・・」


と言うと、はち切れそうな笑顔で


「いやだ。孫よ。50過ぎて子供は産め
ないでしょう?」


と笑っていました。わたしは、


「先輩はボケてるでしょう?」


と言うと、


「あら、あたし、何かおかしなコト言
った?」


と言うので、わたしは、


「30代の後半くらいから、年を取るの
を忘れてると思います」


と言うと、彼女は手を叩いて、


「それそれ!いやあ、Yくんは変わん
ないなあ。中学の時から、何かドキッ
とするようなことを言ったかと思うと
後で考えるとジワジワ嬉しくなるよう
な褒め言葉だったり、瞬間的にはわか
らないような真理だったり…。憶えて
る?あたしが、Yくんに『頭、いいん
だってね。いっつもグランドで見かけ
るから体育会系で成績は普通なのかな
?と思ってたら実力テストで学区3番
だったって聞いて驚いちゃった!』っ
て言った時、『頭がいいって言われて
喜ぶヤツは普通です。本当に頭がいい
奴は自分が頭がいいかどうかなんて関
係ない。もっと知りたいコトがたくさ
んあるからです。今、ちょっと嬉しく
なっちゃったから、俺は普通です』っ
て言われたんだよ。帰ってから、Yく
んがちょっと嬉しかったのは、あたし
が言ったからだろうか?とか、ちょっ
と自惚れたりしてね。1年上のあたし
達の間では『考えオチのY』って呼ば
れてたんだよ」


そう言ってケラケラ笑っています。隣
の男の子が、


「ともちゃん、嬉しそうだね」


と言ったので、わたしは、


「若いのは呼ばせ方にも出てますね」


と言ったら、彼女は、


「あ、これはムスメ達の方針なの。だ
からお父さんとかお母さんとか呼ばせ
ないで名前で呼ばせてるんだもんね?」


と彼に話しかけて頭を撫でていました。
彼女は、わたしの方を向くと


「Yくんと初めて話したのは、一緒に
練馬区の連合陸上体育大会に行った時
だよね?すごく懐かしいねー」


と言って遠くを見るような目をしまし
た。


「微妙に違いますよ。連陸(連合陸上
体育大会の略称)の練習をしてる時に
先輩が俺に声をかけてくれたのが最初
です。そのおかげで、俺は銀メダルを
取れたので間違いありません」


そう言うと、先輩は


「えっ?練習中に声をかけたのって大
したコト言わなかったよね。野球と砲
丸で全然投げ方が違うのに、どっちも
得意なのって、投げるコトなら何でも
好きだから?とかなんとかつまんない
コト言っただけだったと思うけど…?」


と言いました。わたしは正直、先輩の
記憶力の良さに驚きました。その通り
だったからです。


「あの時、野球と砲丸は全く投げ方が
違うっていうのを言葉ではわかってた
んですが、頭ではよくわかってなかっ
たんです。先輩に投げ方が全然違うっ
て言われたから、砲丸の投げ方をその
後、詳しく調べたんです。例えば地面
の高さから放物線を描いて投げるなら
45度がいいけど、人間の肩の高さから
突き出すように投げ出すなら41度以下
で投げた方が距離が稼げる、とか学び
ました。そのおかげで準優勝できたと
思っています。本当に有難うございま
した」


彼女は、


「えーっ?あんな一言からそういうふ
うに考えるんだあ!さすがだねー、Y
くんは…」


中学2年と3年の時、わたしは練馬区
の連合陸上体育大会に、砲丸投げと
4×100mリレーの学校代表選手とし
て、国立競技場のフィールドに立って
いました。


陸上競技が強い学校では、陸上部から
選手達が選抜されますが、わたしの中
学では、学校全体からその競技が得意
そうな選手に声をかけて、記録を取っ
て1番データのいい選手を選んでいま
した。


砲丸投げなんて、連合陸上体育大会で
もなければ計測しない競技です。わた
しは毎年4月にやる体力測定のソフト
ボール投げで1年から3年まで毎回学
年で1番遠くまで投げていたので、中
2の時、体育の先生に


「2年生から連陸(連合陸上体育大会)
の競技に砲丸投げが入るんだ。おまえ
投げてみないか?」


と言われ、部活の前に4キロの砲丸を
渡されました。中学では男子の砲丸の
重さは4キロです。高鉄棒の近くの砂
場の所で、5分くらい注意点を言われ
ました。


「砲丸は重いから、突き出すように投
げる。おまえは野球部だけど、ボール
を投げる感覚で肩や肘を使って投げた
ら骨が折れるから、大砲のように砲丸
を突き出せ。ココから体育倉庫に向か
って投げたら、その壁で止まるから、
ココで練習してくれ。まず、見本を見
せるから」


と先生が投げて見せてくれました。砂
場に砲丸が落ちました。わたしは、見
よう見まねで同じ場所から同じように
砲丸を突き出してみると、先生の砲丸
とは軌道が違います。「あ?」っとい
う間に砲丸は体育倉庫の壁を壊しまし
た。ドガッ!というかなり乾いた大き
な音を立てました。体育倉庫の壁がブ
ロック2つ分、壊れました。砲丸は体
育倉庫の中に飛び込んで行きました。


呆れたような顔をしている体育の先生。
大きな音がしたので、職員室からも何
人か先生が飛んで来ましたが、ケガ人
は居なかったので、笑い話になりまし
た。わたしは野球部でのフリーバッテ
ィングの時、ライト側への流し打ちで
校舎の窓ガラスをいつも割っていまし
た。しかも2階の職員室の窓を1番た
くさん割りました。割ったガラスの数
が30枚を超えた頃から、次に割ったら
弁償させるからな、と言われていまし
たが、結局卒業するまで払わされたコ
トはありませんでした。


「おまえが練習する時は、体育倉庫に
人が居ないコトを確認してからしか投
げないように。投げるラインは、もっ
と後ろのココからにする。おまえがボ
ールを扱うと窓ガラスや壁が壊れて行
くなあ…。壊し屋Yって呼ぶぞ」


その投げるラインは、Yラインと言わ
れるようになり、石灰で線を引かれ、
そこから練習するようになりました。


連陸の練習は大会の1か月前くらいか
ら始まって、各部活が終わってからの
20分くらい、リレーのバトンパスとか
砲丸の突き出し角度が45度くらいにな
っているかをチェックしたりしていま
した。その頃、さっき書いた言葉をか
けてくれたのが先輩でした。


そんな思い出を話していると先輩は、


「あの連陸で砲丸のフィールドに居る
選手達を見た時は、Yくん、可哀想っ
て本気で思ったなあ…。だってYくん
ってば、1番小さく見えたもん。競技
が始まってから小さい方から2番目だ
ってわかったけどね。3投目が終わっ
て予選でYくんがトップに立ったのが
電光掲示板でわかった時は本当に驚い
た。あの中でどれだけメンタル強いん
だ?って呆れたもん…」


と当時のコトを思い出しながら、ポツ
リポツリと言いました。それにしても
本当によく憶えているなあ…、と少し
感激しながら聞いていると、先輩は、


「実はあの頃、Yくんの1年上の砲丸
投げの選手だった男バレのKくんと付
き合ってたの。『今年のYはメダルを
取れるよ』って言われてたから期待し
て見てたんだけど、回りは180㎝超え
てるデカい人が多かったじゃない?体
重も100㎏超えてるような…ね。Kく
んの学年の選手よりYくんの学年の方
が大きい選手は多かったから、あ~あ
って残念な気持ちだったのに、そんな
の関係ないみたいに粛々と戦ってて、
すごくカッコいいと思ったんだ」


わたしの学年には本当にデカいヤツが
多かったんです。1番デカいヤツは、
190㎝以上で120㎏ありましたし、180
㎝以上で100㎏超えてるのが7人も居
たんです。当時169㎝で63㎏のわたし
は、小さい方から2番目でした。とこ
ろが、1番小さいN中のKが優勝し、
2番目に小さいわたしが準優勝しまし
た。そして、なんとわたし達が3年に
なった時も、Kとわたしの1,2フィ
ニッシュで優勝と準優勝は2年連続で
デカい奴らを倒して、チビッ子2人組
みが独占しました。


N中のKは陸上部のキャプテンになっ
て1年中砲丸の投げ方を研究していま
した。当時、ちゃんと砲丸投げをやっ
ている選手たちの間ではスタンダード
だった後ろを向いて足を振り上げて勢
いをつけて投げるグライド投法を実に
綺麗なフォームに完成させていました。


今では、砲丸投げも円盤投げのように
回転投法に移行していますが、当時の
わたしは砲丸を首に付けて、横向きに
低く構えて突き出す瞬間にほぼ39度~
41度の角度で投げるだけで、サークル
から飛び出さないようにリバースをす
るだけの、本当に初歩的な投げ方でし
た。N中のKに


「Yがグライド投法をマスターしたら
俺なんか簡単に抜かれちゃうなあ。お
まえが野球部で、連陸前に1か月くら
い練習するだけだって聞いてても、も
しグライド投法をマスターして来たら
どうしようってドキドキだったんだぜ」


と言っていました。1年前はKもわた
しと同じような投げ方でしたが、投げ
始める体勢の低さがわたしより低かっ
た分、遠くまで投げられたんだと思い
ます。3年生の時には、グライド投法
をマスターして来る努力家な所が凄い
なあ…と感服していました。Kにそう
言うと、


「俺がそれだけ努力しても、おまえと
の投擲の差はわずか数㎝だぜ。地肩の
強さはおまえが1番だな。俺は高校で
も投擲やるけどYはどうするんだ?」


そう言って、一緒に砲丸やろうぜ、と
言うので、わたしは、


「悪いけどやっぱり俺は野球やるから
砲丸投げはもういいかな?」


と答えました。N中のKは高校でも砲
丸投げで頑張っていました。何度か新
聞のスポーツ欄で彼の活躍を見たコト
があります。


先輩と逢えたおかげで、もうしばらく
忘れていた記憶がよみがえって来て、
しかもかなり詳しく記憶には残ってい
るもんだなあ…、と思っていると先輩
からこんなコトを訊かれました。


「あれだけの身長差や体重差があって
も、いつもと変わらない力を出すため
には何が必要なの?普通、少しはあき
らめちゃう気持ちになるでしょう?し
かも大会側は砲丸投げとリレーの両方
に出る選手なんていなかったから、砲
丸投げの予選が終わって本選が始まる
頃のタイミングでリレーの予選が始ま
るって招集が掛かったじゃない?Yく
んは確か本選では1回しか投げられな
かったんじゃなかったっけ?リレーの
通路で顔、合わせたの、憶えてる?」


先輩は女バレ(女子バレー部)でした。
足が速くて、彼女はリレーで3年間続
けて連陸に選ばれていました。彼女の
種目は走り幅跳びで、まさにスプリン
ターとしての王道を行く種目に出場し
ていました。走り幅跳びの選手がリレ
ーに出るコトは普通にあるのでプログ
ラム上も時間がかち合ったりしません。


砲丸投げの選手でリレーに出る選手は
あまりいないので、砲丸投げの本選と
リレーの予選の時間がかち合っていま
した。わたしは答えました。


「まず、いつもと変わらない力を出す
には、回りは気にせず、自分が今、出
来るコトをやるだけでいいと思います。
回りが大きくても小さくても、自分の
出来るコトは同じですから。だから、
諦める気持ちになんて全くなりません
よ。それから、砲丸の本選とリレーの
予選が重なってて招集されるのが解っ
た時点で、役員さんに確認しました。
投擲記録は予選のはそのまま記録とし
て残るのか、それとも本選の記録は本
選で投げたモノだけが採用されるのか
?って。予選の記録も残りますよ、っ
ていう返事だったから、予選の最後の
3投目を1番丁寧に投げました。最終
的にその記録が俺の記録になりました
からね。それからトラックの外側の通
路で先輩と顔を合わせたのはハッキリ
憶えてます。その時、話したコトは憶
えてますか?」


というと、先輩は、


「あれ?なんだっけ?砲丸の途中で大
変だね?とかそんなコトだったと思う
けど…」


と答えました。わたしは言いました。


「惜しい。先輩は『砲丸投げ、優勝で
きそうだね?』って言ってくれたんで
すよ。俺は『N中のKがあと2投のう
ちにうまく行けば優勝はアイツになり
ますよ。今はリレーに集中します』っ
て答えました」


先輩は手を叩いて、


「そうだそうだ!それ、言った。砲丸
のコトを忘れてリレーに集中するって
スゴイなあ…って思ったのを思い出し
たよ。それを聞いて、あたしも今年は
結果を出したいって思ったんだもん。
1年、2年はメダルはなかったんだけ
ど、3年のその時は走り幅跳びで銅メ
ダルもらったんだよ。Yくんの銀メダ
ルには及ばないけど、あたしの初メダ
ルだった。Yくんのおかげだね」


それに対して、わたしは言いました。


「先輩が走り幅跳びで銅メダルを取っ
て、カレシのK先輩が前年には砲丸投
げ優勝で金メダルだったのに、あの年
は同じ銅メダルだったんで、おふたり
は仲がいいなあ…と、あの時思ったの
も、今、思い出しました」


先輩は、


「えーっ?あたしとKくんが付き合っ
てたの、知ってたの?」


と言ったので、


「たぶん、体育会系の部活してた連中
は、男も女もみんな知ってたと思いま
すよ。超お似合いのふたりって、有名
だったから…」


わたしは、そう答えました。すると


「じゃあ、あの連陸の後で、あたしと
Kくんが別れたのは知ってる?」


と先輩は訊きました。わたしは、


「ええ、聞きました。でも、その後の
噂がよくわからなかったんですけど…」


と言うと、先輩は、


「なーに?その後の噂って…」


と訊くので、わたしは言いました。


「K先輩のコトが大好きだった先輩は
ショックで自殺未遂を起こして、その
後、2日間学校を休んで右手首に包帯
を巻いて来たっていう噂です。でも、
その時、俺、先輩に逢ったんだけど、
いつものような笑顔で、そんなにショ
ックを受けた後だっていう印象を受け
なかったんだよなあ…」


そう答えると、先輩は笑い出して言い
ました。


「そんな噂があったんだあ。全く違う
よ。だって、別れようって言ったの、
あたしだもん。2日間休んだのは、ち
ょうどそのタイミングで九州の親戚の
お葬式があったから忌引きで行ったの。
右手首に包帯を巻いてたのは、それが
別れるキッカケだったんだけど、あた
しも砲丸投げてみたいって言ったら、
4㎏の砲丸をKくんが渡して来たの。
で、あたしが手首を痛めたら、じゃあ
女子用の砲丸って言って、2,7㎏の女子
用の砲丸を渡して来たの。これ、逆で
しょう。まず女子用のを渡した上で、
ちなみに俺が投げてるのはこれ、って
4㎏の砲丸を渡して来るならわかるよ。
あたしが投げてみたいって言ってる時
に4㎏の男子用のを渡して来て、あた
しが手首を捻挫しちゃったのを見てか
ら、女子用の軽い方を渡されたって、
もう捻挫してるんだから投げるコトも
出来ないし、女子用は軽いね、とも思
わないでしょう。あっちはあっちで、
連陸以降、あたしがYくんの話ばかり
してるってやきもち焼いてるし、その
報復で4㎏の砲丸を渡したんだとした
ら、こんな男はイヤだ、と思って別れ
たの。だから、葬儀の後にYくんの顔
を見て嬉しくなって笑顔になったのは
そういう経緯があったから。だから別
れた理由の中にYくんの存在も入って
るんだよ。それから、もし手首を切る
なら、あたしは右利きだから左手首を
切るでしょう。右手首に包帯を巻いて
たんだから、そういうのじゃないよ。
でも、たしか、包帯じゃなくて手首の
サポーターを着けて行ったような気が
するんだけどね…。それはハッキリは
憶えてないけど…」


そう言って、えへへ、と笑う先輩の顔
を見ながら、わたしは、


「いろいろな疑問が払拭できました。
ありがとうございます。それから、今
さらですが、光栄です」


と言うと、先輩は、


「まさか40年後にこんな話をする機会
が来るなんて、全く思わないよねー。
これだから、人生は面白いよね」




今回、こんなに長く詳しく細かい内容
を書いたのには理由があります。


自分だけだとこんなに詳しい記憶は蘇
らなかった、と思うんです。


その頃、ワクワクとかドキドキとかし
た相手とだと、まるでつい昨日のよう
に鮮明な記憶が蘇るコトもあるんだと
思います。


先輩もわたしも、偶然逢ってこんな話
をした後、わたしから


「日頃、思い出しもしない記憶だけど
こんなに昨日のコトのように鮮明に思
い出せたのは、顔を合わせたからだと
思うんです。たまには逢いませんか?」


と言いました。先輩は、


「うん。逢おう。あたしも驚いたんだ
けど、普段忘れてるようなコトがスラ
スラ出て来て、人の右脳って生まれて
から見た全てのモノが全部記憶されて
るって聞いた時は、嘘だあ…と思って
たのね。でも、本当かも知れないって
思えたの。或る意味、今までで1番、
自分の記憶を信じられた日だった。ち
ょっと嬉しいなあ…。ぜひ、逢おう」


という話になりました。そして、共有
してる思い出の登場人物で連絡を取れ
る人が居たら、その人達とも顔を合わ
せてみよう、というコトになりました。


そして、ワクワク、ドキドキする人に
逢う。逢いたくても、ワクワク、ドキ
ドキしない人は呼ばない。そういうル
ールを作りました。それから1か月に
1回以上逢わない。いつも当たり前の
ように逢っていると、良からぬ関係に
発展して、それを正当化しようとし始
めるかも知れないから。それはカッコ
悪いよねー、というコトになりました。


でも、先輩がもっとカッコいいコトを
言いました。


「どんなにいいルールを作ったって外
れる時は外れちゃうよね、人間だもん
!。てへ(^o^)」


誰だって出来るコトをやるだけでいい
んですよね。出来ないコトは出来ない
んだから(^o^)。