hittyのブログ

ちょっと調子の悪いオヤジのネット起業奮戦記

親と子の関係

ご来訪いただき、有難うございます!


昨日は雪がしんしんと降っていました。



昨日の午後3時くらいの写真です。今
は、もっと積もっていますが、雪は止
んで晴れています。


受験の願書を提出する時期に雪が多い
のは、人生の試練をわかりやすく神様
が教えているのかも知れません。


受験期には、なぜか子供達は自分が生
まれた頃のコトを訊きたがります。


そんな話をしている時、思い出した事
があります。




まず、息子のコトに関して。


当時住んでいた一軒家の2階の居間に
息子のベビーベッドが置いてありまし
た。その頃は、経営コンサルタントと
して、20件近いクライアントに伝える
新しいコンセプトを紹介するため海外
から本を取り寄せて、息子のベビーベ
ッドを見ながら、その本を読んでいま
した。すると息子のベッドから、不満
そうな声が聞こえて来るのです。どう
したのかと息子を見ると、柵につかま
って立ち上がって見せるんです。


「おお、上手に立ち上がれるようにな
ったねえ。すごいぞ!」


と微笑みながら、息子の顔を見ると満
足そうに笑っています。そして、また
本を読み始めると、不満そうな声が聞
こえて来ます。今度は何をしているの
かと見てみると、やはりつかまり立ち
を繰り返しているんです。


「うん。わかったわかった。上手に立
てるようになったんだね。凄い凄い」


と言って、また本を読もうとすると、
また目を離すのと同時くらいにまだ言
葉を話すコトが出来ない息子は、声の
調子で明らかにわかるように不満を表
現するんです。


わたしは少し困って、息子に話しかけ
ました。


「うーん。何が不満なんだい?おまえ
が上手につかまり立ちが出来るように
なったのは、ちゃんと見てるよ。なの
に何が気に入らないんだい?」


ところが、そう話しかけている間も、
せっせとつかまり立ちを繰り返してご
機嫌な様子です。ところが、少しずつ
立ち方を変えているのにようやく気付
きました。


「そうか。おまえはまだ言葉がわから
ないから、『つかまり立ち』っていう
一言で全てが一括りの行動として言い
現わせるという概念自体がないんだね
?おまえの中では、さっき立ったやり
方と、今立ったやり方は違うから全部
違う行動なんだね?だから全部を見せ
たいんだね?わかったよ。じゃあ気が
済むまでおまえに付き合おうか?」


そう言っている間も、嬉しそうに何度
も何度もつかまり立ちを繰り返してい
ます。ただし、毎回少しづつ立ち上が
り方が違うんです。体をねじりながら
立ってみたり、逆にねじろうとして転
んだり、でも何度でも嬉しそうに立ち
上がります。


言葉は便利ですが、「つかまり立ち」
という言葉だけでは、息子が立ち上が
る微妙な変化を全て言い現わすコトは
出来ません。そこで1回1回の行動を
全て見てみると、嬉しそうに何度でも
立ち上がってみて、そのうち、つかま
らなくても立てるようになってしまい
ました。その日のうちにです!


一緒に過ごすコトの重要さを思い知ら
された瞬間でした。




娘のコトに関して。


初めて喋った言葉が、何と「どうぞ」
という概念語だったんです。普通は、
名詞やご飯のコトを「まんま」という
等、目で見てわかるコトを言葉で確認
するんだと思っていたら、掌をわたし
の方に差し出すように「どうぞ」と言
ったのが、わたしが娘から初めて聞い
た言葉でした。マジで、《この子は、
天才だ!》と思いました。


そんな娘が、幼稚園に通っていた頃、


「あたしがどう思っていたのか、あの
時、父は親のくせに、わからなかった
の?」


と言ったんです。わたしはそれを聞い
て、


「おまえがどう思ったのかなんてわか
らないよ。父とおまえは親子としての
同級生なんだから。おまえが子供でい
るのと同じ歴史しか父はおまえの親で
はない訳だから…」


と言うと、娘は、


「お兄ちゃんが生まれた時から親なん
だから、子供のコトはもっとわかるん
でしょう?」


と言うので、わたしは、


「おまえが○○(息子の名)と同じよう
に考えるんなら確かにそうだけど全然
違う考え方をしてると父は思うぞ。だ
から、おまえの親としてはおまえと同
級生だと思うんだ。何でも伝えたいコ
トは言って欲しい。おまえの気持ちを
聞けば、理解は出来ると思うからその
時の気持ちをちゃんと教えて欲しいん
だ」


ただし、おまえとは言っていません。
娘の名前にちゃん付けで読んでいまし
たが、ここでは便宜上、おまえと書か
せていただきました。


親と子の関係は、常に同級生だと思い
ます。どんな子供とも、その子の親と
しては、子と同じ歴史しかない、と思
うのです。親と子の関係は、常に対等
だと思います。


むしろ、その子が1番興味を持ってい
るジャンルでは、いくら親でも勝てな
い、とすら思っています。


息子はテニスが好きで、小学5年の時
に初めて一度負けてから、実は1度も
勝てなくなりました。それくらい伸び
方が凄いんです。


娘のジャニーズに関する情報力には、
わたしは遠く及びません。誰がどんな
時にどんな発言をした、とか、どんな
イベントの時に誰々が何をした、とか
本当に何でも知っています。そういう
コトを知りたいと思う情熱が全く違う
から、面白いのだと思っています。


でも、わたしも中学生の頃からKISSや
Charのコトは親より知っていましたし
野球に関しては同級生の誰よりもよく
知っていたと思います。


個性があるから面白いと思うんです。


今回、何をお伝えしたかったのかと言
うと、親であるコトの責任や義務で、
かなり窮屈な考え方を当たり前にして
いる人がとても多いように感じるんで
す。


親が子供に対して負う責任の中で1番
大きいコトは、子が何か伝えたいコト
が有る時は、ちゃんと聞いてあげるコ
トだけだと言ってもいいくらいに思っ
ています。


よく、人に迷惑をかけないように育て
ている人を見かけますが、わたしは今
でも人に迷惑をかけながら生きている
ので、人に迷惑をかけないで生きるコ
トなんて出来ないと思っています。そ
のかわり、どんな人に何をしてもらっ
たのかを憶えていて、その人には返せ
なくても、いつか何かの折に、目の前
に居る人に返せたら、できるだけ返す
ような「ペイフォワード」的な発想で
生きています。だから、子供達にも、
そういう子に育ってくれたら嬉しいな
(^O^)/…なんて思っています。


きっと、わたしより子供達の方がしっ
かりしています。でも、その方が何か
楽しいような気がします。もし親の方
がしっかりしていなかったらダメなん
だとしたら、どんどん時代が進む度に
世の中は悪くなって行ってしまいます。


そんなのはつまらないような気がしま
す。


子供達の時代の方が、今よりいい時代
になっているようにして行くコトが、
1番大切だと思います。だからこそ、
親が主役でいるよりも、どこかのタイ
ミングで子どもが主役になる自覚を持
たせてあげられるような育て方をして
来たつもりです。


親子は時代を超えてバトンを引き継ぐ
リレー競技のようなモノだと思います。


そういう意味で、バトンを渡したくな
るためには、子どもがしているコトを
よく見て、その子の持つポテンシャル
を知っているコトだと思います。


わたしは、息子を育てるのは息子の性
格をよく知っていたので、成功したと
思っていますが、厳しくし過ぎたので
娘のテニスの才能を伸ばしてあげる事
が出来ませんでした。才能としては、
娘の方があったかも知れません。でも
娘は、わたしが息子に対してしている
厳しさが自分にも向けられたら嫌だ!
と思ってしまい、テニスを完全に遊び
としてしかやっていなかった時期があ
り、チームのエースとしてやって行く
には、経験が圧倒的に足りない、とい
う状態にしてしまいました。


今は、娘もわたしがそれぞれの子に合
った育て方をするとわかってくれてい
るようですが、当時は本当に恐かった
ようです。たった二人しかいない子供
のうち、息子の才能は伸ばしてあげら
れたのに、娘の才能を伸ばしてあげら
れなかったりするくらい、親はそれぞ
れの子の個性をその時その時でうまく
把握できなければ、可能性をつぶして
しまうコトにもなりかねない訳です。


だから、親は万能だ、という幻想は捨
てて、ありのままの現実を見つめる必
要があると思います。現実を認識でき
れば、子どもとの向き合い方も見えて
来ます。親目線、というか、親は偉い
みたいな感覚があると、子どもとの関
係性を見誤ります。


わたしは昔から親と子供は常に同級生
だと思っていますが、娘にはそのよう
には伝わっていなかったり、その時に
とっている態度や子供から見えている
状態によって、誤解もされたりします。


そういう難しさもあるので、その都度
軌道修正しながら向き合い続けるコト
が大切だと思います。